いつからだろう。
「元気」という言葉の意味を考えるようになったのは。

明るい言葉だった「元気」がいつの間にか、困惑する言葉になった

まだ素直に生きていた小学生ぐらいまでは、「元気」という言葉について何時間も考えることなどなかった。
友達との会話、先生との会話、親戚との会話。「最近元気?」と聞かれると、「元気だよ!」という言葉とともに自然な笑顔があふれる。
元気という言葉は私にとって、そんな明るい言葉だった。

なのに、どうしてだろう。
久しぶりの友達と連絡をとったとき、「元気?」と聞かれたら困惑してしまう。
どうしよう、何て答えよう、と何日も悩む。
曖昧な答えを、考えて、考えて、考える。
だけど、どれだけ考えても、納得のいく答えなど出ない。

気づいたら、私はこんな状態になっていた。
「元気?」と聞かれるのが怖い。自分から誰かに近況を聞くときも、「元気?」と聞いて大丈夫か悩む。深く考えてしまう。

久しぶりに話した時の決まり文句ともいえる、「元気にしていた?」は、自身にとっていつしか重たい言葉になっていたのだ。

目に見えない傷を抱えて、元気なふりをすると自分が分からなくなった

こうなったのには、きっといくつか理由がある。
一番大きく影響しているのは、自身のこれまでの生活にあるだろう。
私は、これまで持病があったり、精神的にしんどい環境にいたり、入院をしたり、ケガのように見える傷ではなく、目に見えない傷をよく抱えていた。

でも、誰にも言えなかった。ずっと言えなくて、隠していることもあった。そうして、どんどん言えなくなっていく。元気な振りをして、ずっと笑顔で振舞うようになった。
そんなことをしていると、周りからは「元気そうでよかった」って言われるようになった。
苦しくてたまらない。
でも、目には見えない傷なのだから。その傷を自分でさらに覆ってしまったら伝わらない。それも自分の中ではわかっていた。
それでも、見えない傷の表現の仕方がわからない。言葉に表せなかった。
だから、「元気だよ」って言った。自分にも「元気だよ」って思いこませた。
自分がわからなくなった。

そのうち、たくさん涙が出てくる。
今まで辛かったこと、苦しかったことが、一粒一粒、涙として出てくる。
世界で一番重たい一粒が。
友達と別れた後に、帰り道に、一人になれたときに、たくさんたくさん溢れてくる。
頑張って明るく振る舞っていたこと、無意識に我慢していたこと、辛くてたまらなかった思いとともに。

自分の味方になって、受け止めよう。自分を信じることが元気の秘訣

でもね、そんな一粒が出てくれないときもある。
素直な自分を、自分の前だけで出す力もなくなってしまったとき。
そのとき、やっとわかるんだ。
本当の自分は元気じゃないんだよ、って。もうごまかさないで分かって、と。周りに見えない傷と同じように、自分にも見えなくなる自分の傷。
心が、体が、自分自身に見えなくて聞こえない悲鳴をあげる。

そんな自分の味方に誰よりもなれるのは、自分だ。
だからそんなときは、まず自分を自分で受け止める。
そして涙が出てくるぐらい、優しくしてあげる。
自分には、見えなくなってしまった自分の傷が一度見えるようにしてあげる。
そうすると、だんだん元気が出てくる。
元気じゃない自分を受け入れてあげられたとき、どこかに安心感が生まれる。 

元気じゃない自分も元気な自分も、どんなときも一番自分を理解してあげられるのは、受け入れてあげられるのは自分自身なんだよって。
たとえ元気じゃないことがあっても大丈夫。どん底に落ちていっても大丈夫。
私は元気な私を知っているんだから、きっとまた戻ってこれる。

そう自分を信じることが、私の元気の秘訣なのだ。