可哀想だと気づかなかった。自分の無機質さに失望した小3の私

小学校の頃の話だ。
私はよく実家の新潟に帰っていて、その度にクラスにお土産のお菓子を先生伝いで配ってもらっていた。
きっかけは母が持ってけって言ったとか、そんなんだったろう。
他にもお土産でお菓子を配るクラスメイトはいたし、誰かにあげるあげないではなくて先生からみんなに配られ、余った分はじゃんけんだったり他の先生の元に配られるため、その行為に平等だとか不平等だとか、関して深く考えたことはなかった。
けれども、小学3年生の時だっただろうか。ある男の子が言ってきた。
「おれ、甘いもの嫌いだから捨てていい?」
男の子はいつも私に話しかけるようなトーンで聞いてきた。
私は一瞬固まった。
そんなことを今まで言われたことがなかったから、単純にびっくりしたのだ。
ただ、私はその時、深く考えて買っているわけではなく、ただ義務のように買ってもらっていたその新潟限定味のキャラメルに対し、私にはもったいないと言う気持ちも、悲しいと言う気持ちもなく、いいよ、と答えた。
すると、それをみていた女子が、私の後ろから発言してきた。
「えー!そんなこと言うなんてひどい!」
「ね、かわいそうじゃん!」
「食べ物を粗末にしちゃダメだよ!誰かにあげればいいじゃん」
え、いつの間に、と思って目を丸くした私。それ以上に男の子は驚いてやや後ろにたじろいだ。
「あー、いや、そんなつもりじゃ……」
男の子は続けるが、女子たちの反応にかなり怖気付いているようで、語尾がどもりだして、なんだか私が申し訳なくなる。
そうだよ、この子はいつも通り私に話しかけているし、その顔に悪意なんて感じない。
ただの好き嫌いの話だ。
それなのに、この子はまるで悪いことをしたかのように責められている。
この子は私を傷つけたかのように、みんなが後ろから責め立てる。
「傷ついてないよ、なんでだろう。なんで私はこの子達に代弁されているんだろう。
あぁ、そっか、私、自分の意見持ってないからこの子たちが代わりに話してくれているのか」
そんなことを黙って考えていた。
そして考え込みながら、女子達の同情と批判の圧力に押されて、私は気づいてしまった。
あぁ、これって可哀想なことなんだ……?
「……」
私の目からポロリと涙が溢れた。
「あぁー!ほら!泣いちゃったよ!」
「大丈夫?ほら、蛯名くん、謝りなよ!」
あぁ、違う、ごめん。
私は君を責めたいわけじゃなくて。
ごめん、私はただ、自分の無機質さに、失望しただけなんだ――。
ぼーっと昔のことを思い出していた。
思えば私は、喜怒哀楽の感情が出来上がったのは小学5年生くらいからだったと思う。
それまでは、人の心も分からず、ただ、恥という感情ばかりは人一倍強かったと思う。
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