「あれ、ここが宅地になっとる。もう家もでっきょるやんか」
「新しい道が通ったけんな。ここはほんまに田んぼばっかりだったんやけど。ママが子供のころには」
「山削って高速通したんよ。おじいちゃんは学校帰ったら友達と一緒に山の小枝拾ってな、あそこらへんに薪集める小屋があった」
「そうなんや、高速は生まれた時からあるけん分からんけど」
「そうやな、高速できたあとは高速乗って大阪の方まで行って稼いだんや。万博の頃からずっと、仕事やなんぼやってもなくならんかった」
「意外と、結構、変わっとるね」
「まあそんなもんやろね。」
ふるさとに帰りたくて、でも東京の変化から取り残されるようで
大学生になって上京してからも、私は休みのたびに実家に帰っていた。東京でできた友人には「一年の三分の一は香川じゃん」とからかわれながら、いつも大きなキャリーケースを引いて(帰りに食料品を詰めて帰るためだ)、新幹線に乗り込む。
マリンライナーで瀬戸大橋を渡るとき、いつもビートルズのShe’s Leaving Homeを聴いた。いや、行動としてはcoming homeではあるけれど、東京という街の常に変調するリズムに浸されて、繰り返しのフーガのようなふるさとを、どこか生ぬるく感じ始めた自分を、その曲はセンチメンタルに包み込んだ。
お盆の灯籠の灯りに照らされて湿った畳に身を横たえるたび、帰ってきた安堵よりも、ふるさとにいることで変化から取り残されているような焦燥感に眠れなくなった。
変わらないと思っていた「ふるさと」は、意外と変わっているようだ
しかし今年は、長い間、実家に帰らなかった。
帰ってくると、見慣れた町が、少し変わっていた。いや、住んでいたら気づかないことかもしれないけれど、変わらない、と思っていたふるさとが意外と結構変わっている、と気づいてしまうのはそこそこショックだ。
ふるさとの変化は、チェンジリングの子供のように、どこか異質に見えたけれど、また半年も経てば、すぐに溶け込み馴染んでしまうのだろう。
おじいちゃんの友達はこの前、田んぼを全部売りに出して二束三文を手に入れたという。
この町にはたくさん死んだ老人が住んでいた空き家があるが、田んぼは白っぽい宅地になって、どこかで見たような家にどこかからやってきた若い家族が住む。どこかで見たようなドラッグストアは3軒め、どこにでもあるコンビニは7軒め、全国チェーンのイオンモールは2軒めが建った。
田んぼをコンビニに、どこにでもある町になるための一つの方法
この町はどこか東京の郊外に似て、いや、もうこの町も、東京そのものに似てきているじゃないか。スカイツリーと六本木ヒルズと東京タワーと、いくつかの高層ビルが見えない、東京のどこかの町のようなふるさと。
東京の余りものだけが帰ってくるこの町、祖父はその停滞と衰退を受け入れて、今日も数独を解くだけの日々。そんな彼を弾き出したリズムで、この町が、日本のどこにでもある東京っぽい町になるために、今日も田んぼがコンビニになる。
そして多分そうしたのは、ふるさとにいることをどこか恐れている、成長することだけを望んでいる、私のような、そしてかつての祖父のような人間が、歌う歌なのだろう。
「彼女が(私たちの全てをささげた彼女が)行ってしまう(私たちの全てを犠牲にした彼女が)ふるさとを離れて行ってしまう(私たちはお金で買える全てを彼女にあげたのに)」…ビートルズのコーラスはふるさとの声に似て、私を責める。