今年の夏は、臆病な私が、社会人5年目にして、上司に小さな反抗をした。
反抗というよりも、意見を述べたという方が正しいのかもしれない。しかし、私の子どもっぽい部分が上司にも伝わった気がしたので、反抗という表現になった。

今までの自分だったら言えなかった「できない」を初めて言えた日

ある日、いつものように上司と顔を合わせる。私の顔は暗くなる。
「あー、また何か言われる」
やはり、声をかけられ、指摘事項が5つ。
私だけができていないと言われる。その中には、どうしてもできないこともある。
今までの自分だったら、できないと言えなかった。何故だか、その日は疲れたこともあって、上司にできないと言えた。できない理由も言ってやった。

私から出る声は震えていた。
「うん、分かった」
と、上司も私の勢いにおされたのか納得してくれた。
小さな勝利をおさめた。

その日は、何だか嬉しくて、普段、電話しない父に小さな反抗を報告した。
上司に勝ったことよりも、自分の殻を破ったことの方が嬉しかった。
今まで、できない理由を述べるのは言い訳のようで、恥ずかしいことだと思っていた。しかし、それは相手に誠実ではないのではないだろうかとも思う。

感情のまま表現する自分を「愛おしい」とすら思える、無敵のわたし

第一に、自分にも誠実ではない。できないことを自分に課せていると心と体がしんどくなる。自分ができると言ったから頑張らないと……ジレンマだ。上司は、何故できないのかは分かってくれない、私が言ってないのだから。

もう、私は、相手にも自分にも期待するのはやめた。自分の出来ることを出来る範囲でするしかない。それが、相手や自分に対する誠意なんだろう。
自分の意見を言うことがこわくて、反抗できなかった。それは、こわい上司のせいではない。私自身が逃げてきた問題だ。小さい頃から、人の顔色を伺ってきた。へらへらと笑っている自分がものすごく嫌いだった。

でも、今は、愛想を振りまきながら、小さな反抗ができる自分は無敵だと思う。感情のまま表現する自分が何だかおかしくて、愛おしいと思える。反抗期の娘みたいだ。

わたしは、着実に安全な道を選びながらも、小さな挑戦はやめない

今日の上司は、私にどんな指摘をするのだろうか、少し楽しみにもなってきている。最近では、言われる前にやろうと思える。
こんな事を思う私は、全然前向きではないと改めて思う。いつも、リスクを回避する事が第一優先だ。冒険はしない。

新入社員の時は、周りの勢いのある人が羨ましかった。上司に意見を言って、新しいこと、難しいことに挑戦する同僚と自分を比べて落ち込んでいた。
でも、私は違う。
着実に進む安全な道を選ぶ。

私のためにも、周りの大切な人のためにも。私は、少しの環境の変化で心が乱れるみたいだ。その変化は、私だけではなく、私を大切に思う人までも不安にさせてしまう。
だが、小さな挑戦はやめない。
もちろん、上司への小さな反抗も。
いつかは、私の反抗期だけで終わらず、上司の意見を汲み取りながら、私の意見も言えるようになりたい。

まだまだ、先になりそうかな。