大好きな友達がいた。
小学二年生の頃引っ越してきたその子とは偶然家が近くって、よく学校帰りにお互いの家に寄って、日が暮れるまで遊んでいた。私が学校に通えなくなり引きこもりがちになっても、彼女は変わらずインターホンを押してくれた。

義務教育期間の記憶にはいつも彼女が。そんな彼女には好きな人がいて

背が高くて、頭が冴えていて、一重を気にしていた彼女のことを特別に思っていることに、いつだったか気付いた。
帰路で見えなくなるまで手を振りながら、大声で「また明日―!」と言い合ったり、肩を並べてゲームしたり、次の日の朝、遅刻しそうなくらいの夜更かしを二人でしたり、義務教育期間の思い出のほとんどに彼女がいる。

いつも一緒だった。だからこそ邪な期待をしてはいけないと、自分を縛っていた。

好きな子ができた、という事実を発表されたとき、私の顔は変じゃなかっただろうか。しかもそれが女の子だというので悔しかった。

仕方ないと押し込めてきた気持ちは、微妙な距離を保っていた努力は、なんだったのか。手を繋いで眠った記憶をいつまでも甘く思い続けているのは私だけなのか。頑張れと絞った喉の苦しさを、鮮明に覚えている。

だけど、彼女のことが好きだからこそ幸せになってほしい気持ちはあったし、うまくいくよう願った。何か力になれることがあればなんでもした。付き合うことになったというメッセージを見て、寂しさに沈みつつ安心していた。おめでとう、とすんなり言えた。

彼女が吐いた言葉に、背中をさすることしかできなかった当時の私

夏がきて、それぞれ高校生活が忙しくなるなか、私の気持ちは落ち着いていったし、彼女らもうまくやっているようで、私が力になれそうなこともなくなっていった。
お正月に集まったときも惚気話をされたほどで、こうやって強くなっていってしまうんだなと保護者のような目線でいた。

高校二年生の春、仲の良かったメンバーで遊ばないかと連絡がきた。二つ返事でオーケーした。背伸びしなくてもいい友達に会えるのが嬉しかったし、みんなの幸せな話を聞きたかった。

ファミレスでポテトを食べながら語り合ったり、プリクラを撮ったり、公園で走り回ったり、典型的かもしれないけれど本当に幸せな青春の時間を過ごした。日が暮れるまで笑って、最後に桜でも見ようと歩幅を合わせて歩いた。波の音と私達の話声以外聞こえなかった。

だからはっきりと聞いた。「もう別れるかもしれない」と吐いた彼女の声を。
夜の海、桜の花びらを頭に落としながら、大粒の涙を流す彼女に胸を痛めた。気持ちが混ざってぐちゃぐちゃで、背中をさすることしかできなかった。

私たちが前に進めたのは、あの夜があったから。彼女の笑顔が嬉しい

大切な親友がつらい思いをしてるの見たくない、とか、私なら泣かせなかったのに、とか、こんなにも想ってもらえるその子がずるい、とか、汚い感情も確かにあった。
でも悲しかった。自分のことのようにつらくて、なんとかしてあげたいと思った。月の下で密かに、目の前で泣いている彼女のことを想った。

恋愛云々はもうどうでもよくなってしまうくらい、彼女のことが好きだった。幸せにできるのは私じゃないことなんてもうとっくに気付いていたけど、添え木にならなれる。彼女の涙が止まるまで寄り添った。

結局色々すれ違いがあったらしく、本人間で知らぬ間に解決させていた。
なんやねん、というのが正直な感想である。まったくもう。
うまくいってよかった。笑ってくれてよかった。折れなかった私達に拍手を贈りたい。

私が「好き」の形を見つけられたことや、人間として強くなれたことは副産物でしかなくて、彼女が今日も笑ってくれていることが一番に嬉しい。
今でもたまに連絡を取り合って色んな話をしているけども、お互いに色んな夜を超えてきたからこそ、こうやって縁が続いているんだと感じる。
あの夜があったから、私達は前に進めたのだ。