今日で会うのは最後。彼が私をじっと見る顔が好きだった

2018年4月29日。有楽町のドトール。テーブルを挟んで目の前に座る韓国人の友人Cが、携帯のメモに日本語の文章を作り、それを見ながら、ペンでメッセージブックに模写していた。
今日で会うのが最後となる友人Hに渡すため、寄せ書きを書いてもらっていたのだ。本当はHと二人で会おうとしていたが、直前になってこっぱずかしくなり、急遽共通の友人Cを呼んだのだった。

恐らく両想いだったHと私。お互いの気持ちをはっきりと確認できていたら、メッセージブックはもう少し厚かったかもしれない。私の稚拙なプライドがそれを邪魔し、自分の思いをごまかし、気づかないふりをし、我ながら呆れるようなやり方でかわし続けていた。
ようやく自分の気持ちを認めるようになった頃には、彼はもう海の向こうで新たな生活を始める直前だった。

店の外から私たちに気付いたHは、静かに私の斜め向かい、Cの隣に腰を下ろし、目の前のテーブルに置かれた二つの空のグラスを見た後、「どこ行く?」と尋ねた。
予定を決めていなかった私達3人は、恐らく誰一人として馴染みのあるとは言えないが、各々の家の中間地点で、都合が良さそうというだけで選んだ有楽町の街をぶらぶらすることにした。

交差点で信号を待ちながら、Hは私の顔を凝視して言った。
「本当にサラは日本人に見えない。そうじゃない?」
同意を求めるように今度はCの顔を見る。
「いや、Hだってベトナム人だと思わなかったよ。ブラジルとか、そっちの方かと思った」
私は言ってやった。
幼少期から散々同じようなことを言われて酷く傷ついていたが、今は少し気分が良かった。彼が私をじっと見る顔が、結構好きだったからだ。

用意したメッセージブック。彼は真剣な眼で「ありがとう」と言った

街を歩いているうちに見つけた大戸屋で夕食をとり、その後カフェに入った。私とHの顔を見た店員が英語で、営業が21時までだが大丈夫かと尋ねた。
「Cさん、ここ21時までだって。どうする」
「いいよ、入ろう」
Hの一言で、滞在可能時間が1時間を切ったそのカフェに入った。日本語で会話する私達の様子を見て、驚いたような、安心したような顔をした店員に向かって、ブラックコーヒーを注文した。
「今日で2杯目だよ。寝れなくなっちゃうな」
そう私が言うと、小馬鹿にするようにHは言った。
「2杯なんか全然大丈夫だよ。眠れなくなったら電話して」
半年以上のLINEでのやり取りの中、何度も電話しようよと提案してきた彼に、一度もうんと言ったことがなかった。

二人が席に着いたのを確認すると、私はHにメッセージブックを渡した。
ダイソーで購入した硬質の黒いリングノート。前半は、初めて会った日からこれまで一緒に行った場所を、写真やマスキングテープなどでコラージュしたもの。後半は、一緒に時間を過ごしたことのある私の友達からのメッセージが綴られている。
感情豊かな欧米人のような、派手な反応をちょっぴり期待していただけに、静かに、一枚一枚を丁寧にめくる様子は、少し私をがっかりさせた。
しかし、彼の真剣な様子でありがとうと言う眼を見たら、それはそれでありか、と考え直した。

手を繋いでみたかった。もっとハグをしたかった

21時からベトナム人の仲間と送別会をするという。解散の雰囲気を醸し出しながら、私たちは改札口に繋がる地上入口に到着した。
一瞬の沈黙が流れた後、Hは両腕を開いてCと抱擁しようとしたが、Cにその意が伝わっていないと思ったHは、今度は私の方を向く。一歩前に出て私は両腕を広げる。
一年弱ほどの付き合いだったが、彼とこんなに密着したのは初めてだった。
「じゃあね。元気でね」
帰路が途中まで同じだというCがその後に続く。階段を下りながら、何度も顔をこちらに向けるH。手を振りながらそれを見つめる私。終わったんだと思った。

その日はコーヒーを飲んだせいで頭は冴えていたが、すんなりと眠りについた。
彼と初めて会った日、数か月後に再会した日、彼が送ってくれた、ギターを弾いている動画。数十年ぶりの、まるで初恋のような高揚感と、目まぐるしく移っていく情景の数々を頭の中で抱えながら。
手を繋いでみたかった。もっとハグをしたかった。でも、その日も電話はしなかった。

彼には間もなくして、素敵な彼女ができた。
それでも私は今、彼と過ごした時間を大切な宝物箱にしまっている。時々取り出して、あの夜から遡って思いを馳せながら、そっと触れてみる。

彼の存在は私の味気ない日常に突如現れた台風で、私はその暴風にかき乱されながら、初めての感情を何度も味わった。
自分を認めて、好きという気持ちを表現して良い、彼が放つ好意を、素直に受け止めて自分の自信に変えて良いんだ、と。
彼が教えてくれたことは、少なくなかった。