母が買ってくれた服を、手放すことができないでいる。
1人暮らしを初めてもうすぐ7年になるが、そんな理由で洋服タンスのすべての引き出しは、もうパンパンだ。
好みも年代も変わり、着る機会が減っている服でも、母が一緒に選んでくれたことを思い出してしまって、どうしても自分のもとに残しておきたいと強く思ってしまうのだ。 

母のオシャレのセンスや感性、私にもあったらよかったのに

最後に母と服を買いに行ったのは、3年前の冬。年末年始の長期休みで、私は地元の札幌へ帰省していた。
予定もなく暇だったので、街へ服を買いに行く、と母に言うと、
「ついて行ってあげてもいいよ」
と、おちゃらけた様子で返事が返ってきた。
顔をそらされていたから表情まではわからなかったけれど、素直に言わないでいるだけかな、と思うことにした。

電車に乗って街へ出て、駅ビルの中に入っているショップをいくつか回った。
オフィスカジュアルとしても着ていける、というのをテーマに、袖にパールのついたベージュのドルマンニットと、ブラウンのジャンパースカートを選んだ。
ドルマンニットは一目ぼれで即決したが、それに合わせるボトムスを選ぶのに迷っていた時、母がブラウンのジャンパースカートを選んで持ってきてくれた。

昔から、母はオシャレのセンスがある人だった。色味やデザインなどを組み合わせることが上手で、そういう感性がイマイチな私はいつまでもお店で悩みがちだった。親子なんだから、センスの良さや感性は似て欲しかったと思う。
試着を終え、買ってくるかな、と言ってレジへ向かう私を制し、母がいいよ、と会計をしてくれた。

自分の持ち物を買ってもらえるということはとてもありがたいこと

店を出てすぐ、ありがとうございますとお礼を伝えると、母がこう言った。
「妹にはよく買ってあげたけど、あなたにはあまり買ってあげなかったから」

それは確かに、学生時代の私が感じていた不満だった。
全く買ってくれないわけではなかったけれど、子供時代を比べると、妹の方が服を買ってもらっていたと思う。

だけど、自分の収入だけで暮らすようになった今は、自分の持ち物を買ってもらえるということはとてもありがたいことなのだ、とわかる。

それに、私にだって全く買ってくれなかったわけではない。
初めて彼氏ができたとき、一緒に遊びに行くことを報告したら、洋服を一緒に買いに行ってくれたこともある(その服もまだ、私の箪笥に仕舞ってあるし、今でもたまに着ている)。

母との温かい思い出が、洋服たちに織り込まれている

「ついて行ってあげてもいいよ」と言ってくれたのは、母なりに考えてくれたということだと思った。
当時は私が思春期真っただ中で、妹は反抗期真っ只中。娘の気分に振り回されることも多かったから、そんな中で「服が欲しい」なんてお願いを聞いてあげようなんて余裕があるとは考えにくい。

普段離れて暮らしても、私を子供として可愛がってくれていると素直に感じた。それは私にとっての温かい思い出として、ドルマンニットとジャンパースカートに織り込まれている。

もうすぐ秋が来る。秋が来たら冬ももうすぐだ。
この時に買ったドルマンニットとジャンパースカートは、今でも私のお気に入りだ。
今年の秋冬も、出かける時はこの服を沢山着るのだろうなと今から楽しみにしている。
そしてこの先も、洋服箪笥を整理できないのだろう。