弟の彼女が、未来のバリキャリだ。
出来のいい親戚に囲まれている私だが、そんな私が久々に見る本当に優秀な肩書きだった。
このご時世で、私が彼女に会うことはかなわないが、私が以前弟の家に作り置いた料理を食べ、「お姉さんにお料理を教わりたい」と言ってくれるくらい謙虚な子で、家族想いの優しい子だという話も聞いている。
そんな彼女のことは前から知っていたが、彼女のために何かしてあげたいと思うようになったのは、ここ最近のことだ。

男女差別は遠い話のような気がしていたけど、ここまで深刻だなんて

女性の立場を確立しようという考えに、深く賛成できるようになった。男女差別がここまで深刻なものとは知らなかったのだ。
ある雑誌で「米農家のほとんどが、男性がコンバインに乗り、女性が補助作業をする」とあった。補助作業は重労働だから、取材に応じた人の家では、女性がコンバインに乗り、男性が補助作業をしていたそうだ。
確かに、機械を操縦することに男女差はないが、力仕事は男性が行った方が効率が良い。それなのに、男性がコンバインに乗るのが当たり前だなんてと、心底驚いた。
言われてみれば、周りの人の話を聞いていても、ここでのエッセイを読んでいても、そういう話は多々あった。でもどこか遠い話のような気がしていた。こんなに身近で根深いものだったのだと、今更気がついた。

私は励んでいたことがことだけに、女性だからと差別されることが多かった。しかし実力至上主義の面もあったため、実力さえあれば、黙らせられる立場でもあった。
だから、出来てさえしまえば、そこから先、苦しいことはない。何故なら私の経験からすれば、男女の違いで文句を言うような人は、所詮その程度の実力しかないからで、その程度の実力さえつけてしまえば、そんな浅はかな人たちを見返すことは簡単にできた。
私の親戚には性別で人を判断するような人はおらず、どちらかと言えば女性が多い親戚内には、そこらの男性よりよほど優秀な女性がたくさんいた。
そして親戚の男性たちは、多少の威厳は保ちつつも、女性たちを温かく見守る、温厚な人たちばかりだった。だから、私のいた場所だけがおかしかったのだと思い込んでいた。

社会に出るべき彼女を、弟が邪魔するようなことはあってはならない

その点は私の家族はいいものの、私の父や祖父は、温厚ではあるが家事の手伝いをほとんどしない。それを見て育った弟も、ほとんど何もせず、下宿先はひどい有様だった。
このままでは彼女が苦労をする。どうにかしようとは思いながら、私は何もしなかった。
雑誌に簡単な自炊レシピの薄い冊子が付いてきたことが転機となった。これに「男も料理をする時代だ」と手紙を添えて弟に送りつけた。
すると少しずつではあるが、自炊を始めたとの連絡がきた。部屋も以前より片付いたらしい。

私からしたら、まだ会ったこともないが彼女は本当に優秀で、素晴らしくて、社会に出るべき人だ。それを弟が邪魔するようなことはあってはならない。
家に十分なお金がなかったため両親は、私の学費を削って弟の進学費を用意した。
もちろん私の同意あってのことだし、その分の補填はあった。これが決して男女差別によるものではなく、単純に能力の差によるものであることは誰の目からも明らかだった。
だから弟には、学んだことを無駄にして欲しいわけではないけれど、弟のために弟よりよほど優秀な彼女がキャリアを目指せないなんてことは、あってはならない。2人で協力して家庭を守り、2人で社会の役に立ってもらえたらと思う。
そのためにはまず、彼女1人に負担をかけないことだ。彼女はこの仕事で、1人でも多くの人を幸せにしたいと思っているそうだ。ぜひ活躍してもらいたい。

社会で輝くべき全ての人材に、簡単で美味しいレシピを知ってほしい

そして私が、弟の彼女の存在を知ってから意識して行っていることが、簡単でおいしいレシピの開拓だ。
簡単で、おいしくて、できればエコで安いのがいい。ネットや本で知ったレシピを試し、そのままだったりアレンジしたものを、友人たちにも伝えている。友人たちもまた、社会で輝くべき人材だし、専業主婦だって決して楽な仕事ではないんだから、こういうものは知っておいて損はない。多くの料理研究家がお料理する人の負担を考え、シンプルでおいしいレシピを考案している。
その分私は、母がよく作っていたポテトサラダは作らなくなった。そんな面倒なものを作る気なんかなくなるくらい、簡単でおいしいレシピは増えた。いつか弟と彼女に教えられるよう、もっと増やすつもりだ。

きっと社会を変えるのは女性たちだ。
私たちが動かなければ、何も変わらない。女性には何かを変える力が十分にある。
わずかながら私も、その一助となれるよう励もう。
社会で活躍する女性が増えることを、陰ながら祈っている。