あの日風に舞い上がったスカイブルーのブラウスは、これから一生忘れられない一着になる。反射的にそう思った。
信じたくない1つの可能性。人生で初めて洗濯物を吹っ飛ばしたのかも
着ようと思ったブラウスがクローゼットの中に見当たらなかった。乗らなければいけない電車の時間が迫っていたから、仕方なく別の服を着て出勤した。
電車にゆられながら考える。着ている服を出かけている途中に紛失することはまずありえないから、絶対家の中にあるはずだ。
ぐるぐる考えているうちに、信じたくない1つの可能性が見えてきた。天気が良くて風が強かった日に洗濯した記憶がよみがえってきたからだ。
しかも、その日は外干しした。私は人生で初めて洗濯物を吹っ飛ばしたみたいだ。
帰宅した私は、干した服が足りないことに気付かない自分のいいかげんさに情けない気持ちになりながら、ベランダからアパートの隙間を見下ろした。
見慣れたスカイブルーの布の固まりが、かすかに見えた。やっかいなことに、住んでいるアパートではなく、隣のアパートと、その隣の一軒家の間の隙間に着地してしまったようだ。
ちょっと見たくらいでは気付けない、人が立ち入れないような隙間に入り込んでいた。
私を守る盾になってくれたあのブラウスのことが、明確に思い出される
失われた物は、恐ろしいほど明確に思い出される。
コットンとポリエステルのさらっとした肌触りも、少しだけしわになりやすくて、少しくたびれてきた襟元も。飛ばされたブラウスは、爽やかなスカイブルー、フレンチスリーブに小さなリボンがついていた。ちょっとかわいさもあって、スーツに似合う、ちょうどいい一着だった。
新入社員の私が、新宿ルミネで探しまわって購入したものだ。就職で上京したばかりの私は、しょっちゅう道に迷いながら、自分のおしゃれへの欲望を満たしつつ、取引先にも舐められない清潔感をまとえるアイテムを日々探していた。
1年目だろうが15年目だろうが変わらず取引先の前に出る仕事だから、せめて外見で判断されないようにと、全神経を集中させて服を選んでいた。比較的年配の男性が多い業種で、若い女性であることがこれほど嫌だった時期はない。気に入った服は、ひとりぼっちで奮闘していた私を守る盾になってくれていた。
思えば、気合いの入るプレゼンも、緊張感のある打ち合わせも、入社から4回の夏をあのブラウスとともに戦ってきた。親ですら見ていない私の働きぶりを一番そばで見ていたはずだ。
今年の夏は、飛ばされた戦友を取り戻さない限り、終わらないかも
飛ばしてしまった服を他人様の敷地に置いておくのは心苦しいし、4年間の思い出の詰まった服だし、早く迎えに行ってあげたいのはやまやまだが、一体あの場所は誰の許可を得れば入れるのだろうか。隣にあるアパートと、さらにその隣にある一軒家の隙間に思いを馳せる。
何より、認めたくないけれど、風雨にさらされて汚れた戦友に対峙する勇気がないのだ。それでも、今年の夏は、飛ばされた戦友を取り戻さない限り、終わらないかもしれない。
入社から少し経った今は、服で自分を守らなくてもギリギリやっていけるようになってきた。いつか、服の力を借りずに戦える日が来るだろうか。それとも、若い女性というカテゴリから抜け出せれば、もっと私は自由になるのだろうか。