私が彼と出会ったのは、今からちょうど10年前。幕末を舞台にした、とあるアニメがきっかけだ。彼は約150年前、実在していた人物であった。当時の私は中学1年生で、思春期真っ只中。心と体の成長にたじろぎ、周囲の目が気になって情緒不安定な時であった。学校へ行くのも気が乗らず、理由のない不安に押しつぶされそうな中、私はアニメに助けを求めるようになっていた。
私を明るくし、辛い時は助けてもらったと感じるほど、彼は大きな存在
そしてすぐ、彼に出会った。画面の中の彼はいつも笑顔で、幕末という動乱の時代を真っ直ぐに突き進む人であった。私はそんな彼の姿にみるみる夢中になり、いつしか彼を見ていると心が落ち着き、不安も消えるようになった。
さらに私は、彼の姿に感化されるように以前よりも明るい性格になり、気が乗らなかった学校へも楽しく通えるようになった。辛いことがあっても、彼が手を差し伸べてくれるようで、彼と出会ってから今まで何度助けられてきたか分からない。
彼は私にとって、それだけ大きな存在になっていった。
彼への思いはアニメに留まらず、私は史実も調べるようになった。彼については、多くはないが文献も残っている。
彼と出会ってからの10年間、私は彼に関する読めるだけの本を読み、彼が歩いた道を実際に訪れた。コンクリートで舗装され、ビルに囲まれた場所であっても、彼と同じ場所に立つことができるととても嬉しかった。史実の彼は、北辰一刀流の免許皆伝、新選組最年少幹部、斬り込み隊長といった経歴を持ち、そんな彼に私はますます惹かれていった。
歴史書ばかりを読み、カメラを片手に日本全国を飛び回る私は、所謂「現代の若い女性像」とはかけ離れていただろう。周囲からも、かなり奇異の目で見られていた。
それでも私は、彼を追う自分が大好きで、彼の新しい発見に常に心を踊らせていた。
23歳。私の現在の年齢であり、そして史実上彼が亡くなった歳
23歳。私の現在の年齢であり、そして史実上彼が亡くなった歳だ。彼の23年の人生は、決して短くなかったと私は思う。彼は武士であり、刀が振るわれる中で亡くなったと伝わっている。信じたものに真っ直ぐ突き進んだが故の結末であり、とても彼らしい終焉だと私は思う。
ふと自分自身に目を向けると、私は到底彼に追いつけていないと感じる。社会人1年目として、日々の仕事をこなすことで精一杯で、休日は平日の疲れを癒すことに必死な毎日だ。
しかし、社会人となり学生のころとは違う「責任」という重圧に押しつぶされそうな中でも、やはり彼は私に元気をくれた。そして私は、彼の姿を10年追い続けてきたからこそ、ここで挫けるわけにはいかない、と思うようになった。彼は私にとって「推し」というより、「憧れ」なのだ。
私は彼の面影を追いながら、彼の姿に自分の「憧れ」を重ねていた
大袈裟かもしれないが、今の私の性格、進路、経験はほとんど彼に基づいている。
斬り込み隊長であった彼のように、何事も率先して動き、海外留学への道を掴んだ。彼が生きた時代の文化を知りたくて、日本舞踊を習った。
大学では、彼が生きた時代を大きく動かした、国際関係を専攻した。彼のように明るく、真っ直ぐ、信じたことに突き進める、そんな強い人になりたくて、今も奮闘し続けている。
私は彼の面影を追いながら、彼の姿に自分の「憧れ」を重ねていたのだ。次の誕生日で私は彼が生きた歳を越してしまうが、これからも彼は私の前を歩いて、私の「憧れ」で居続けてくれるだろう。
憧れのその人は、決して会うことのできない存在。けれど彼はいつだって私に前に進む勇気と明るさをくれ、しっかりと背中を押してくれる。私は私が憧れた彼の姿を信じて、今日も一歩を踏み出そうと思う。
そしていつか、彼に追いつき、追い越したい。叶うのであれば、私の人生を彩ってくれて「ありがとう」と伝えたい。