鼻がもう少し高かったらな、と思う。輪郭がしゅっとした人には憧れるし、菜箸みたいな脚の長さの人は羨ましい。
だけど、わたしにとってはその程度だ。

望んでいない二重は羨ましがられ、謙遜すると嫌味を言われ

きりっとした切れ長の一重で、スタイルがいい女の子に、わたしは惹かれる。
わたしがあの顔で、あのスタイルだったら、跳ね上げラインにぱっつん前髪、黒髪ロングでギャルソンやヴィヴィアンを着こなしたい。ああ、鼻にピアスなんか開けちゃったりしても可愛いかも。
でもわたしは二重で丸顔、スタイルは中の中。似合わないとは断言しないが、自分の顔とスタイルとテンションには合わないなと思う。だから選んでいない。

「色白でぱっちり二重で羨ましい~」
人生で初対面の人に言われることランキングをつけるとすれば、わたしは間違いなくこれがダントツ1位だ。

なぜ色白だと、二重だと羨ましいのだろうか。わたしは心底疑問である。

ただ、そう思う人がマジョリティだということも、年を重ねるごとに何となく理解した。言われ始めたころは「全然そんなことないです~」と謎の謙遜をしていたが、そう言うと大体「努力してなくてそれって楽でいいね~」とこれまた謎に嫌味たらしいことを言われることが多かったので、もう面倒くさくなってすべて「ありがとうございます!!!」で乗り切っている。わたしだって望んで色白二重をやっている訳ではないのだ。

嫌だと思う部分を変えるために行動するかどうかは、本人が決めること

学生時代は白玉みたいに真っ白な自分が嫌で、日焼け止めを塗らずに過ごしていたけど、冬にはまた白くなってしまうという謎の体質で全然黒くならなかった。
二重は別にどうこうできる問題ではないので、早々に考えることを諦めた。

宇垣美里さんが言っていた「人には人の地獄がある」という言葉を、よく思い出す。
最近は周りでも二重の切開手術をしている子は、思いつくだけで5人以上はいるし、ダウンタイムの様子を赤裸々に投稿するインフルエンサーだっている。

その人にしかわからない自分のちょっとした嫌いな部分や醜さがあって、それを変えるために行動するかどうかは本人が決めることで、周りがいちいち口出しすることではないと、わたしは思う。
ただわたしは整形をするという考えに至らなかった。それだけだ。

生まれつきの子の体で、多少の不満はあれど、お金をかけてどうにかしたいと思ったこともない。そこまで自分の体や見た目に興味がない、というのもあるが、一番は、切れ長一重のスタイルがいい子になることにそこまでこだわりもなければ、強い意志もなかったからだと思う。

今あるそのまんまの体で、持っているものを最大限に生かそう

こんなことを言うのもあれだし、二極化で考えるのもおかしな話だが、どちらかと言えばわたしは万人受けする側の外見の人間なのかもしれないと、自分に対してそう思う。
だったらもう割り切って、いまあるそのまんまの体で、持っているものを最大限に生かそう。その方が精神衛生上クリーンだし、人生を楽しめるような気がする。

でもやっぱり一重の人に言われる「羨ましい」はわたしにとっての地獄だし、この地獄をそっくりそのままぶつけてやりたくなってしまう。
人生はないものねだりの繰り返しだ。