電話やLINEで頻繁に連絡を取っていても、会わないとわからないことがある。それは家族であっても。
むしろ、家族だからわからないことがあるのかもしれない。
例えば、私と電話する度に涙していた母親が、ある時から泣かなくなったこと。最近母親からの電話が減ったこと。何故かは聞かないけど。

コロナ禍で2年も会えていなかった両親が、私と夫に会うために東京へ

私の両親は北海道にいる。コロナが流行し始めた年に上京した私は、それ以来両親に会っていなかった。
実に2年。2年の間、私たち家族には様々な変化があった。
私が上京して結婚した、両親が仕事を退職した、祖母が亡くなった、私が職場に行けなくなって無職になった。
それでも毎日過ごさなければいけないし、コロナは増える一方。何となく、気持ちが下がっていた。その時、母親から「お父さんと東京に行こうと思う」という連絡が来た。

9月末日、両親が東京に来た。コロナの落ち着き具合を予測し、数ヶ月前から計画していた両親との再会。3泊4日の長いようで短い旅行、目的は私と夫に会うため。
両親が東京に来る当日、空港まで迎えに行くことにした。
久しぶりの空港、「思っていたより人がいるんだな」と周囲を見渡しながら到着口にまっすぐ向かう。定刻よりも11分早く到着したとのアナウンスが流れたあと、まばらだが荷物を持った人達が私の目の前を通り過ぎていく。
しばらくすると、両親の姿が見えた。久しぶりに両親の顔を見た時、涙がツーとこぼれた。母は到着口から出てきた時にはもう泣いていた。「久しぶり、元気だった?」と声をかけると、お互いすぐに涙が引っ込み、長旅を労ったあとホテルまで案内した。

ぎこちない空気は少しずつ笑顔に変わり、家族で旅行を楽しんだ

その日の夜は、両親と夫と食事した。夫が調べてくれたお店は、ホテルから徒歩数分の和食屋。最初はぎこちなかった空気も、美味しい料理に会話が弾み、家族も夫も笑顔で会話をしていた。
2日目は台風による豪雨のためホテルから出られない両親に会いに行った。久しぶりの家族水入らずの時間、コンビニのご飯を食べながら、両親が豪雨の東京を窓から見ていた。
3日目は夫がドライブを提案してくれた。
外に出なくても楽しめるようにルートを考えてくれた、スカイツリー・浅草・東京タワーの観光名所を見るコース。浅草では車から降りて、浅草寺でお参りをしたあと、人力車に乗って周辺を散策した。
両親の笑顔と「いやあ、楽しかった」の言葉に、私と夫も笑顔になった。

会えない間にたくさんの変化があっても、両親の優しい笑顔は変わらず

両親をホテルまで送って、今回の旅行で会うのは最後。最終日の見送りは寂しいからと断られた。
両親が夫に「(私の名前)をよろしくお願いします」と頭を下げたとき、夫はどんな気持ちだったんだろう。夫が両親に握手を求めた時、両親はどんな気持ちだったんだろう。
母が目に涙をためながら「(夫の名前)さんと仲良くね」と私の腕をさすり、父は手を伸ばして「無理すんでないよ」と言ってくれた時、私は母と父の娘であり一人の人間として認めてもらったと実感した。

会えなかった2年間、両親にはたくさんの変化があった。
母の耳が少し遠くなっていた、父の髪が薄くなっていた。母が父との2人暮しになった寂しさに慣れようと、母なりに強くなっていた。
けれど、変わらないものもあった。
母と父のコントのような掛け合い、私を気遣う温かさ、優しい笑顔。私はそれがどれだけ嬉しくてありがたかったか。
母ちゃん、父ちゃん、また会えるからその時まで心身健康でいよう。ありがとうね。