私は、このエッセイを書くために自分の自慢できるところを探してみた。
しかし、なかなか簡潔に述べることができないから、まずは自己分析から入ることにした。

自己分析をしみた結果、私は「周囲の人」を自慢したいと思った

私は、自己肯定感が特別高いわけではないが低くもない。大学にも通えているし学歴も普通で、何か大きな不便をしていたり大きな悩みもないからすごく「ふつう」に生きてきたと思う。周りの意見に流され自分を見失うことはないが、協調性もある程度は持っている。
だけど一応プライドはある。友達もいるし家族もいるし、属したコミュニティで浮いたりとかハブかれたとかいう経験もないと思っている。すごく恵まれた環境だったからこそ「ふつう」に生きてこれたのだと思う。

大好きで信頼している友達がいるし、掛け持ちバイト二つともである程度は頼りにされていると自負しているし、高校時代のクラスメイトはスポーツで有名になっていたりもする。
こうやってだらだらと自己分析のようなことをしてきたが、私は「周囲の人」を自慢したい、と今思った。

「周囲の人」の自慢だと私の自慢ではないのかもしれないが、「類は友を呼ぶ」という言葉を信じて「自分のおかげで」とも思いたい。「周囲の人」といっても「友達」と「地元のアルバイト先の夫婦」に限定したいと思う。

ドラマで出てきそうな言葉ばかりだけど、本心で大切だと思う親友

まずは友達だが、私は大学に入学して今までに出会ったことのないくらい大好きで自慢の友達が出来た。その子の存在なしではこれから先生きていけない、と言っても過言ではない。どう伝えたらいいかわからないが、本当に大好きな友達なのだ。
「親友」とはこのことだと理解することもできた。これは私の一方的な好意ではなく、私たち「ふたり」が思う気持ちであると断言できる。

彼女の力になりたいし、ずっと一緒に笑っていたい。泣いていたら寄り添いたい。結婚式には必ず行くし、誰よりも幸せになってほしいと心の底から思っている。
私はこんなクサいようなこと言わないし、こんな思いを伝えたことがないから気持ち悪いと思われるかもしれない(笑)。
誰でも言いそうな、よくドラマで出てきそうな言葉ばかりだが、すべて本心だ。文章で彼女の魅力を伝えることが出来ないのが悔しい。

お店のInstagramで、私の話をしてくれたアルバイト先の夫婦

次は、「地元のアルバイト先の夫婦」である。
私は長野県から東京に上京してきたが、高校3年から大学1年まで町の小さなご飯屋さんでアルバイトをしてきた。そこの夫婦は本当に優しくて私を娘のように大切にしてくれた。それは私が頑張ったからだと言われることがあるが、私は二人が好きだったから頑張れたのである。

自分の頑張りも二人のことも自慢である。
なぜ私を大切にしてくれたのかわかるかというと、私が上京するためそのバイト先をやめた日のお店のInstagramである。そこには「大切な従業員であったあやちゃん」といって私の話をしてくれたのだ。

沢山のお客様が見るSNSで、お店の情報を流す場で、私の話をしてくれたことが本当にうれしかった。ここに電話をかけて、採用してもらって、頑張って働くことが出来てよかったと、涙が止まらなかった。

周囲の人がいるおかげで、私は自分のことを好きになれたんだと思う

ここまで、大好きな人たちのことを書いてきたが、これが「自慢できる私」である。自慢できる周囲の人がいるおかげで、自分が好きになる。私を認めてくれているのだとわかるから私は私のことを自慢したい。
「こんなにすごい人が周りにいるんだ」と。私は、私の大好きな人たちの幸せを願っている。この文章を見せることはないと思うが、いつか必ず気持ちを伝えたいと思う。