わたしには「結婚願望」がない。
世の中では「恋愛→結婚」という順序が最もイメージされやすいと思うけど、わたしはその「恋愛」についての関心がそもそも薄めの人間である。

中学から大学までを女子校で過ごし、幸い「恋愛をしない」ことがイレギュラーだと扱われたり、それで焦ったりすることなく今まで生きてきた。
「いつかは愛する素敵な人と、バージンロードを歩くんだ!」的な夢も、なぜだか持ったことがなかった。
もちろん、愛する人と結婚することはすごく素敵なことだと思うし、友達の結婚式にはまだ行ったことがないので超行ってみたい。絶対泣く。

恋愛への関心が薄めだけど、人生の選択肢として、「結婚」を考えた

25歳になり、結婚する知り合いもちらほら出始めた。
わたしは新卒で入った企業を辞め、新しい道に進むために大学院進学を決めた。
卒業する年には28歳になる。
わたしの目指す職業はあまり稼ぎがよろしくない場合が多いとされており、生きていくために色々な面で今から力をつけておかねば、と考える機会が増えた。
選択肢として、そのひとつに「結婚」が挙がった。
結婚して、その人との共同生活を営めば、2人分の収入でまずまずの暮らしが出来るのでは?と考えた。
結婚のためにはまず恋愛をたしなむところから!と意気込み、友達に知り合いを紹介してもらったり、マッチングアプリで出会った人と実際に付き合ってみたりもした(ちなみにそれが人生で初めての恋人)。

でもなんか、正直、しっくりこなかった。
知り合いを紹介してもらえたり、わたしなんかと付き合おうと思ってもらえたりしたことは、もちろんすごく嬉しかった。
だけど、今のわたしにとって、「恋愛すること」は自分にフィットすることではなかったのだと思う。
わたしの今までの人生で、ありのままの自分に対して恋愛的な好意を持たれたことは(おそらく)一度もない。
いや持たれたことはあるのかもしれないけど、それが形になって現れたことはない。

「モテの常識」に抗えず、「当たり障りのないわたし」を演じてしまう

学生の頃は、そんな自分のことを「好きになってもらえる魅力がない奴」なんだと思っていたけど、
今はなんだかんだで「どうやらわたしの壮大な魅力に気づけるだけの人間はまだ現れていないようだな」と思えるようになっている。

でも、いざ恋人をつくるとなると、どうしても取り繕ってしまって、「当たり障りのないわたし」を作り上げてしまっていた。
ドラマや漫画、SNSなど、あらゆるメディアによって叩き込まれた「モテの常識」みたいなものに、意外と抵抗できないものだ。
「当たり障りのないわたし」を演じ続けた先にある「結婚」というゴールは、果たしてわたしが望んだものだろうか?
そもそも、経済的安定だけを目的として結婚を目指してみたけど、その先に結婚生活があることを何も考えてなかったな?
わたしは反省した。
わたしじゃないわたしを演じることも、結婚生活を営むことも、わたしの本望ではなかった。
人生は常に自分のためにあるべきで、自分のために自分の大切な人達を愛するべきだ。

大切な人達のように愛せる恋人ができたら、結婚の選択肢が見えるかも

わたしはわたしの友達みんなを愛している。
そんな風に愛することができる「恋人」がもしこの先できたとしたら、その時に初めて「結婚」という選択肢が見えてくるのかな、と思った。
もちろんこれは、あくまでわたしの場合の話である。
世界には幸せな結婚ばかりがある訳ではない。
全ての結婚する人・しない人が、幸せな人生を全うできる世の中になりますように。