あどけなく笑う姿が好きなのに、私の前では違っていた
それは昼下がりのことで、憧れの彼女と一緒に帰った。テスト期間だったから、学校は午前中で終わった。帰宅部の私が新聞部の彼女と帰ることができるのは、部活動のないこの期間だけだ。クラスが離れ、思っていた以上に会う時間が減ってしまった。けれど、テスト期間の帰り道だけは二人きりでいられる。
11月の寒風に煽られ、スカートが膨らんだ。不思議と寒さは感じなかった。
「ごめんね、ホームルーム長引いちゃって。待った?」と言うので、「別に好きで待ってたからいいんだよ」と言った。本当に、あなたのことが好きだから待っていたのだと、伝わってほしかった。
外はわずかに雨が降っていた。きちんと閉められなかった蛇口から滴る水滴よりもだらしがなく、中途半端に。つまり傘など差す必要はなかった。
だけど私はピンク色の傘を、自転車を押して歩く彼女の頭上に差し出す。紳士なことされちゃった、と言われた。
同じ傘の下で微笑まれ、粉ミルクのような愛らしい匂いがしてドキドキしていると、でも私のほうが紳士だから、と言われた。彼女は「イケメンになりたい女の子」だった。そして、どこまでも負けず嫌いだった。
彼女の歩幅は広い。歩くのが遅い私に構う様子は微塵もなく、私はときどき早足で追いつかなければならなかった。斜め後ろからのぞきこむように見る彼女の頬は真っ白で、求肥のようにやわらかそうだった。三日月形の目で、くすくすと胸を上下させてあどけなく笑う姿が好きなのに、私の前ではそんなふうに笑わない。てきぱきと、利発そうに喋る。
可愛くて運動ができて頭がいいのに、自己肯定感だけが足りない神
「今日の数Ⅱも英語も自信あるの。わたし天才だから」
彼女は学年イチ頭がよかった。可愛くて運動ができて頭がいいのに、自己肯定感だけが足りない。そのせいで、ときどき虚勢を張るように不遜な態度をとることがあった。そんなところが気に食わなくて悪口を言う人もいた。
ちがう。彼女は自信がないのだ。彼女の親は厳しく、ほとんど褒めてもらったことがないらしい。彼女は自分でバランスをとっているのだ。
目の下にはいつもより濃く黒い影ができていた。根を詰めて勉強しているのだろう。けれども肌は変わらず寝不足でも綺麗だった。
「わたし神なんじゃないかな」。神だよ。女神だよ。天使だよ。
縁の細い眼鏡の奥の、たっぷりした二重まぶた。眼鏡のつるにもつれて、蔦のように絡まる黒髪。ほんの少し前に出ている、左側の八重歯。私の一番好きなところ。彼女は私の女神だ。
そんな彼女にも女神がいた。テスト終わりにご飯連れてってくれるって、と心底嬉しそうに話す彼女の笑顔こそ、私が見たい顔、私には滅多に向けられない顔だった。
私が女だから実らないんじゃない。現実は意外にも公平で、残酷だ
彼女は新聞部の先輩が好きだ。おそらく私が彼女を想うのと同じくらい。
誰が見ても可愛いと思う、アイドルみたいな女の先輩が新聞部にいた。最初は、写真撮ってもらったんだとか、担当した記事を褒めてくれたのだとか言っていたのが段々エスカレートして、この前膝に乗せてもらったとか、バレンタインあげちゃおうかなだとかいうものに変わっていった。
私が彼女を好きになったのも今思えば、そんな彼女だから可能性がないわけでもないと踏んでのことだったかもしれない。でも、現実は意外にも公平で、残酷だ。私が女だから実らないんじゃない。私が私だからだめなんだ。
淡々と話を聞く私に安心したのか、彼女は先輩の惚気話ばかりを話した。私は都合のいい聞き役でしかない。けれど、なんの役も与えられないよりかずっとマシだ。
ああ。もう少しで駅に着いてしまう。そう思ったとき、急に彼女の歩みが遅くなった。明らかに遅くなった。私は嬉しくなり、調子に乗ってさらに遅く歩いた。二人で、ゆっくりゆっくり歩いた。
彼女はまだ先輩の話をしたかったのだろう。来年先輩が卒業してしまう、と嘆く。きっとこの関係は何一つ変わらないのに、私は新年度をすこし楽しみにしている。この気持ちは誰にも言わない。言う必要がない。
踏切が鳴った。目の前で電車が過ぎていった。私が乗るはずの電車だったことを、彼女は知らない。言わなくていいこと。知らなくていいこと。次の電車まで、あと15分ある。