中学ではソフトテニス部に所属していました。
入学後の部活動見学で、ソフトテニス部の先輩方が「打ってみない?」とラケットを持たせてくれました。初心者だった私は力加減が分からず、思い切り「おら~!」と一振り。ボールはネットを飛び越し向かいのコートへ。「すごいじゃん!」と先輩方が言ってくれました。一緒にいた友達も「テニス部に入ろうよ!」と。
入りました……が、毎日の練習がキツい。夏休みは潰れ酷い日焼け。それでもただただ楽しかった。

遊びでバドミントンのラケットは使ったことはありますが、必需品になるまでのスポーツ用品はこれまで持ったことがありませんでした。
初めてのラケットが壊れた時、お金に余裕がなかった私は学校指定のラケットではなく、少し安いものを母に買ってもらいました。
大事に大事に使いました。しかし、3年生になっても選抜メンバーにはなれませんでした。

そして最後の大会。緊張で震えが止まらなかった。
この日まで家族が大会に来てくれたことはありません。この日も私だけが家族が来ていなかった。少し悲しくて、でも他のメンバーが気を遣わないように試合が続きました。
私は、弱かった。相手が左利きだと知っていながら、打たれた球に追い付けず負けてしまったんです。私のせいで。
母が来ないことが、頭のどこかに残っていた。だから負けた。
すごく後悔しました。あの時に強ければ、あの時に母が来ていれば……もう戻れないですよね。

もう、母はいません。
負けたこと、母を責めたこと。
あれから約10年。小さな出来事だったと思います。でももし戻れるなら母に謝りたい。
今はお母さんにただ、会いたい。