私は旅があまり好きではなかった。
「わざわざ休みの日に遠出をしてまで何を得たいの……?」「家でゆっくり映画でも見ながら過ごして、来る平日に備えるのが得策じゃないの?」と旅好きの友人たちを横目に、自宅ライフを満喫していた。
お昼ごろまでゆっくりと睡眠を取り、午後は好きな漫画やドラマを楽しみゆったりと過ごす。夜に慌ててやることを終わらせて、結局寝るのは夜中になってしまって。そんな休日こそ、至高。そう思っていた。
容易に遠出できない今のような状況になるまでは。

私を旅行嫌いにしたのは友人との北海道旅行での苦い思い出

思い返せば、私を旅行嫌いにさせたのは、「旅行」そのものだった。
友人との北海道旅行は当時の私にとって少し苦い思い出となって心に残っている。車の免許を持っていない私たちは、バスと電車を乗り継いで観光しなければならなかった。

私は、2泊3日の旅行のスケジュールを分単位で考えたものの(なぜそんなに細かいスケジュールを立てたのか、今では全く理解ができないが)、やはり旅にトラブルは付きもの。計画通りにいかなかった部分もあり、移動手段を全て私任せにして楽しんでいた友人たちを心の中で罵りながら、帰宅して一人悲しくスケジュール帳を開いたのを覚えている。
そんな思い出もあるからか、旅に良い印象はなかった。今思えば、自分で綿密なスケジュールを立てて、自分で満足して、それを認めてもらえなかったから悔しがっていただけなのだけれど。

そんな中、いつの間にか世の中は、簡単に旅ができない状況へと突入していた。「旅行しよう」そう切り出すことが、なんだか悪いことのように思える、そんな世の中になっていた。
SNSにはおうち時間を満喫している様子を載せて、いかにも「自粛しています」という感じをアピールしてみたり、なるべく外出したことが悟られないようにしてみたり。みんな今までとは打って変わって、充実していなさを強調し始めた。

友人とオンライン飲み会をしているときには、「ここに行こう」ではなく、「ここに行けたらいいね」という会話になっていた。
以前では考えられないものだ。具体的な日程は決められず、ただいつ叶うのかわからない願い事を口にするかのような、そんな感覚で。

私はおうち時間の先駆者。でも、途端に旅することが恋しく思えてきた

そんな状況下で、私は、ニュースなどで「おうち時間」というワードが出るたび、なんだか自分が先駆者のような気分になっていた。
「今更おうち時間だって?何を言っている。おうち時間のすばらしさにやっと気が付いたか、皆の者よ」
そう心の中で高笑いしていた。

しかし、しばらく経った頃。さすがの私も、家で過ごすだけで終わる休日や長期休みに嫌気が差してきた。
楽しくないわけではないが、友人とコロナ前に「ここに行きたいね」「お金貯めてこんな所に泊まりたいね」と話していたこと、楽しかった旅の思い出を振り返ると、途端に旅することが恋しく思えてきたのだ。

旅行先から家に「やっと帰ってきた」という思いが何よりも愛しい

私に旅が必要な理由。それはきっと、「おうち時間を満喫するため」なのだと思う。

毎日家にいる生活では、おうち時間のありがたみを忘れてしまう。重い腰をあげて遠くに出かけて、知らない人と話をして、現地の美味しいものを頂いて、家族や友人と思い出話をして、ちょっと良いホテルや旅館に泊まって、次の日の朝「ああ、今旅行先だった」と思いながら目を覚ます。
それはそれでとても楽しいけれど、それでも家が一番だと気付く。旅行から帰ってきて、玄関で靴を脱いで、「やっと帰ってきた」そう思う瞬間が何よりも愛しい。

旅好きの人たちには理解ができないことなのかもしれないけれど、私にとって旅は、おうちのありがたみをわからせてくれるものだから。

旅好きの友人が「ここ行こうよ!」と気軽に誘ってくれる、私も「ちょっとここ行ってみたい」と提案してみたりする。
どうか、そんな日常が、一刻も早く戻ってきますように。