「満たされている」と、周りから認められるのが私にとって重要なことだった。
仕事や恋愛、趣味や友人関係……あらゆる部分で「私は今の自分に満足していて、今の自分が好きです」と見せたいと思って生きてきた。
そう見られることで、自分が周囲よりもワンランク上にいるように思えた。そして、そう思うことで自分の承認欲求だとか自己肯定感だとかを守っていた。

ありのままを出す彼女と、冷静にアドバイスする「満たされている私」

実際の私は、仕事はうまくこなせていないし、恋愛は生まれてこのかた誰ともお付き合いをしたことがない。趣味は特に没頭するものもないし、友人は片手で収まる人数しかいない。
それでも、仕事は好きなことをやれていて、恋愛は興味がないからあえてしていないだけ……とポーズを取ってきた。それが自分にとって大切だった。
誰かに悩みを話したり弱みを見せることは、とても惨めなことだと思っていた。

大学生の頃からの友人が一人いる。
彼女は私とは反対に、ありのままを周囲にさらけ出せる人だった。
仕事の悩みや恋愛相談も、彼女は躊躇いなく私に話してくれた。
それらの悩みに対して「満たされている私」が冷静にアドバイスをするのは、正直気分が良かった。
同時に、この友人の悩みが決して良い方向に解決しなければ良いのに……と酷いことを思ったりもした。そうすれば、私は彼女よりも上に立ち続けられると思ったからだった。

ただ、その願いはいつも叶わなかった。
人に相談したり頼ることを躊躇わない性格で、努力を決して怠らない彼女は、いつだって逞しく悩みを乗り越えていた。
そうして社会人になる頃には、私が彼女よりも上だと思えるものは何も無くなった。

セフレ沼にハマり悩む自分が惨めで、誰にも打ち明けられない

社会人になって数年が経って、仕事がうまくいかない時期があった。
誰にも頼れなかった私は、仕事のプレッシャーから逃げるように男遊びをするようになった。
そうしてそこで出会った一人の男をそのまま好きになってしまい、いわゆる「セフレ沼」の状態になっていた。
毎日悩んでばかりだったけれど、仕事だけでなく恋愛ですらうまくいっていない自分がとても惨めで恥ずかしくて、ますます誰にも打ち明けられなくなっていた。

ある時、久しぶりにその友人と会うことがあった。
一緒に過ごす時間は楽しくて、またも友人の悩み相談を偉そうに聞いたりしながら、ワインを何杯も飲んだ。
そうしてお互いにかなり酔いが回った時に、話の流れで友人が「私はあなたが誰とどういう関係を結んでるか分からないけど……」と言った。
なぜか私は、その時唐突に自分の話をしたくなって、セフレのことを一気に話してしまった。

否定せずに共感でも同情でもなく、私が傷つくことだけを悲しむ友人

言ってしまってからすぐに「ああ、言うんじゃなかった」と後悔した。
この友人だけには、弱みを見せたくなかった。大切な友達だけど、私の惨めな部分は決して知られたくなかった。上に立っていたかった。
もしこれで同情なんてされたら、自分が惨めで仕方なくて、死にたくて堪らなくなってしまいそうだった。

けれど友人は「私の大好きなあなたが雑に扱われているのは悲しい」と言った。
共感でも同情でもなく、友人は私への友情だけを伝えた。
そして友人は私の恋も、やってきたことも否定しなかった。ありのままの私を受け止めながら、私が傷つくことだけを悲しんでいた。
知られたらおしまいだと思っていた私の弱さは、なんてことのないように友人に受け止めてもらえた。

びっくりした。それから、うれしくて泣きたくなった。
私が必死にポーズを取っていた間も、友人はずっとありのままの私自身を見ていてくれたのだと、ようやく気づいた。
そして、自分の弱さも惨めだと思っている部分も、本当はずっと誰かに知ってほしかったのだと気が付いた。

本当は、弱さを見せて人に頼り、自然体の自分を見てもらいたかった

ポーズを取っていたのは「弱さを見せたら自分の価値なんてないと思われるのでは」と思っていたからだった。でも本当は、弱さも受け止めてくれる人に頼りたかった。自然体の自分を見てもらいたかった。
自分に価値があるように見せることに必死で、ありのままの私を受け入れてくれていた友人にも気づけなかった。

時間はかかると思うけれど、これからは自分の弱さを人に預けられるような人間になりたい。もっと自分のことを、好きになってみたい。
そして人の弱さを一緒に抱えられる人になりたい。
今は素直に、そう思う。