何がなんでも夏を元気に過ごしたい。
これが私の2022年の一番の目標である。
夏が来れば無意識にも達成されそうなほど、目標が小さい理由
夏を元気に迎え、夏の日差しにギョッとしながら玄関のドアを開けたい。夏の夜に散歩をしながら虫の声をたくさん聴きたい。特別夏らしいイベントをしたい訳ではなく、ただ夏らしさを感じる余裕を持っていたい。
夏が来れば無意識にも達成されそうなほど、目標が小さいのはなぜか。それは2021年の夏にずっと家から出られなかったからだ。
私は持病のせいで毎年夏に体調を崩しがちだが、2021年の夏は格別に具合が悪かった。ほぼ家で寝たきりの状態だった。食事をするだけでも必死な日々だった。そのせいで4月から新卒で働いていた職場も辞めてしまった。
あまりの体調不良で体も心も疲弊し切っていたが、9月以降、治療薬が効き始めた。夏が終わる頃から着実に回復していった。
回復する間は、疲弊した心から生まれる暗い考えに付きまとわれた。悪い未来ばかり想像した。仲の良い友人との連絡も気が進まないくらい落ち込んだ。
自分がどういうタイプか知っているからこそ、自分を急かしたくない
でも私はこうした経験は初めてではない。数年前病気になってから、体調不良が原因でどん底まで落ち込む機会が幾度かあったからだ。
その経験から、私は自分にしっかり寄り添うことができてからこそ、幸せを見つけたり活力が湧いたりするタイプであることを知っていた。そのため自分のメンタルヘルスを最優先に考えようと常に努力した。
まず、自分が楽しいと感じるのはどんな時かを思い出すところから始めた。具合が悪すぎてそんなことすら忘れてしまっていた。
少しずつ外出できるようになり、季節を感じることの楽しさを思い出した。それと同時に夏が大好きなことも思い出した。夏をすっぽかしたことにがっかりし、早く次の夏を感じたいと思った。
こうして夏に思いを馳せる中で活力が湧き、自己肯定感や物事に取り組む集中力を取り戻していった。
年明け。短い社会人時代に貯めたお金もだんだんと減ってきた。もう就職活動をしていい頃かもしれない。心と体の状態を見ても、全く働けないわけではない。同年代の友人は皆働いている。
でもあんまり自分を急かしたくない。
実家暮らしをしているので、働かなくてもとりあえず居場所がある。せっせと働くことでお金と社会的な将来性に対する安心を得られるから、コンスタントに稼ぎたい気持ちももちろんある。
ただ、私が自分に寄り添うために一番欲する物はそれではない。私は夏を元気に過ごしたいのだ。
10年後を考えて、とりあえず今の私の素直な思いに寄り添おう
一応、今ではなく10年後どうしていたいか考えてみる。季節を楽しむ余裕がある毎日を過ごしていたい。こうやってエッセイを書くみたいに、小さくても興味のあることに挑戦していたい。周りの人と笑顔になりたい。全ての土台として最大限健康でありたい。その他諸々は何とかなっていればいい。
やっぱり、今せっせと働くかどうかは10年後の理想像にあまり関係しない気がする。だから、夏を元気に過ごすことを第一に考えたい。
こうした考えは、今だけなのかもしれない。数週間後には、欲することや10年後の理想像が変化して、「今すぐせっせと働かねば!」と思うかもしれない。生活環境が変わって働かざるを得ないかもしれない。そうしたら、今の状況を後悔するかもしれない。でも見えない未来に深刻になったってしょうがない。だから、とりあえず今の私の素直な思いに寄り添おうと思う。何かが変わったら、その時に行動すれば良い。今の私はこの目標向かっている時に一番活力が湧く。
最近一番楽しかったことは、初雪の中、傘をささずに一人で散歩をしたことである。引くほど楽しかった。今年の夏を元気に迎えられたら、またこんな楽しさを感じられると思うと、ニマニマが止まらない。