子どものころ、きっと大人の世界には輝かしい何かがあると思っていた

大人になった私は、ヒールを履いて、オフィスカジュアルを着こなして、仕事をバリバリこなし、もちろん恋人も友人もいて、充実した生活を送っている。
中学生の私は、24歳なんていう年齢になれば、こんな生活を送るものだろうと思っていた。
子どもの想像力はたくましいと感心するとともに、その安直さに恥ずかしくもなる。おそらく、様々なメディアや、周囲の話から、これが理想の大人なのだと教わったのだろう。
実際、大人になった私は、オフィスカジュアルなんて必要のない職場で、すっぴんとスニーカー姿で、少ない給料をもらって細々と生活をしている。

大人になったら、別の世界への扉が開くと思っていた。子どもと大人を区切る境界線があって、きっと大人の世界には輝かしい何かがあると思っていたのだ。
大人になることに希望を抱けた子ども時代があったことは、私が幸運だった証かもしれない。

小さい絶望と小さい希望を持って、毎日をやり過ごしている

それと同時に、子ども時代ならではの閉塞感も影を落としている。
毎日が出口のない迷路のようだった。正体の分からない何かに監視され、押しつぶされそうになっていた日々。

大人になった今、正体の分からない何かが、少しずつ形を取り始めているのが分かる。自分を苦しめていたものが何なのか、何に押しつぶされそうになっていたのか。
大人になると、正体不明だった「何か」と向き合わざるを得なくなる。 

子どもの頃は、親の癇癪から逃げる術がなかった。
不安になったとき、怒りが抑えられなくなったときに、私を満たして安らぎを与えてくれる場所がなかった。寂しいときに、寂しいと言えなかった。
大人になったら、それら全部、乗り越えられると信じていた。

でも、違った。
何一つ乗り越えられないまま、毎日向き合い続けるだけ。
本当は言いたかったこと。やりたかったこと。したくなかったこと。それらを飲み込んで、時に吐き出して、毎日揺れながら絶妙なバランスで立っているのが大人になった私。

不幸でも、幸せでもない。小さい絶望と、小さい希望を持って、毎日をやり過ごしている。

良いことばかりじゃないけれど、悪いことばかりでもない

いつか時が来れば「大人」になれると思っていた。「大人」になれば、悩みも苦しみも平気になるくらい強くなれると思っていた。
今の私は、ヒールも、オフィスカジュアルも着こなしていない、毎日の仕事はいっぱいいっぱい。とてもじゃないけど、中学生の頃に思い描いていた「大人」にはなれていない。
それでも、毎日そんなに悪くない気分で1日を終えるのはなぜだろう。
良いことばかりじゃないけれど、悪いことばかりでもない。

これを書きながら、「案外、今って幸せなのかも」なんて考えながら、お菓子を食べるのがちょっと楽しい。こうやって、向き合うことを放棄する時間も必要だったりする。
大人になった私は、嫌な人から離れることができるし、ストレスが溜まったときにヤケ酒することもできる。寂しくなることはあるけれど、甘いものとお酒で埋め合わせる。

大人になった私は、ヒールともオフィスカジュアルとも無縁で、仕事は順風満帆ではないけれど、少し自由になった。