ずっとずっと直したいと思っていて、でも直す方法がわからずにいることがある。
それは、すぐ泣いてしまうこと。
「自分についての真面目な話をする」とき、ほぼ毎回涙が出てしまう
小学生のころはもっと強い子だったと記憶している。
こうなってしまったのは中学校に入ってからで、きっかけはよくわからない。
担任と話していたときに突然涙が止まらなくなってしまって、それ以来、「(主に目上の人と)自分についての真面目な話をする」ときにはほぼ毎回、涙が出てしまう。
「自分についての真面目な話をする」とはどういう場面か。
たとえば、大学受験期の面談はもう、泣いた記憶しかない。高校の担任、塾の教科担当、チューター、どんな人との面談でも泣いて上手く話せなかった。面談で俎上に載るのは私の話だけで、相手は私のことだけを考え、掘り下げ、議論する。私もまた自分に向き合う。その緊張感でいっぱいいっぱいになってしまうのだと思う。
ほかには、部活の先輩に「最近どう?」と言われたときもよく泣いていた。ゼミの面談でも泣いた。
必ずしも怒られる要素、後ろめたいことがあったわけではないし、実際に怒られたわけでもないのだけれど、「自分のことを話す」ことが怖いのかもしれない。
私の「涙もろい」を言い換えると、体外の要素に体が反応しやすい
あるいは、そうした場の空気というものが苦手なのかもしれない。
私が泣くのは上にあげたような状況のときだけではなく、本を読んだり、映画やドラマを観たりしているときも、すぐに泣いてしまう。映画館で自分だけが泣いていてちょっと恥ずかしいときもある。
ようは「涙もろい」ということなのだけれど、それは私の場合、「体外の要素に体内が反応しやすい」と言い換えられる。
映画を観て泣くのは、映画の登場人物の気持ちに強くリンクしてしまうから。面談で泣くのは、その場の空気に影響されてしまうから、という理由もあるのだ。極端な例を出すと、友人にメッセージを送るときに絵文字を打とうとすると、その絵文字と同じ顔になってしまうのも、この性質のせいかもしれない。
だから、就職活動の面接にもすごく不安があった。
面接の空気、自分について掘り下げられること。泣く要素しかない。今はまだ10分程度で終わる初期の選考しか経験していなくて、なんとか乗り越えられているけれど、いわゆる「圧迫面接」に遭遇したときには、耐えられる自信がない。
すぐ泣いてしまう自分のまま、社会人になって大丈夫なのだろうか
そして思う。仮に泣かずに就職活動を乗り越えられたとしても、すぐに泣いてしまう自分を直せたわけではなく、そんな状態のまま社会人になって大丈夫なのだろうか、と。
もちろん、泣きたくて泣いているわけではない。
もうこれ以上できない、というほど涙を我慢しているのに、目から勝手に落ちていってしまうのだ。上を向いたり、爪が食い込むほど手をぎゅっと握りこんだり、軽く舌先を噛んだりしても、いつかは決壊してしまう。泣いて印象が悪くなるだけではなく、泣くと息が上手くできなくて、上手く喋れなくなって、それも困る。
「すぐ泣く」と呆れられたくないし、「最近の若者はメンタルが弱い」とか、「女だから」とか、「泣けば済むと思っているのか」なんて言われたくない。今までは相手が教師や先輩で、泣いても慰めてくれたけれど、社会人になるとそうはいかないだろう。
人前で泣かない人になりたい。
それができるまでは大人になりたくないと、大人に片足を突っ込んだ22歳なのにそんなことを考えてしまう自分が情けない。