きっかけはなんだっただろう?そうだ、高校1年の国語の授業で取り上げられたある題材だ。
その作者である山田詠美さんの紹介文に書かれていた他の作品のひとつが『僕は勉強ができない』だった。この題名、とても見覚えがあるなぁと考えていたら、思い出したのだ。この本が偶然にも我が家の本棚にあったことを。その本を思わず手に取り、読んだのが私のきっかけだった。
高校2年生の彼の何気ない日常を読み返したとき、目についたのは
開き直ったような題名、表紙には水色地に手書き調のポップなイラストが描かれていた。あらすじは主人公の高校2年生、時田秀美くんの何気ない日常の話が9編の連作で描かれている。
時田くんは勉強はできないけれど、歳上の恋人がいて、友達もいて、母方の祖父と母親と3人暮らしの男の子である。最後の9編目に番外編があり、時田くんが小学5年生くらいの話があり、物語現在の彼が彼たる所以が語られている。
初めて読んだ時、こんなにかっこいい同じ年齢の男の子なんて、私の知る限りいないなぁと思った。そして、はじめの1編目で書かれていた、「いい顔をしている」の意味がよくわからないと思った。
それから3年後、縁あって私はまたこの本を読み返した。その時に私の目についたのは、「すべてに、丸をつけよ。とりあえずは、そこから始めるのだ」ということだった。
物語を読んで思い出したのは、学級会でのクラスメイトの顔
5編目の物語の中で、時田くんはある先生のこうあるべきという考えを押し付けられる。その時に彼は自分の価値観と違うことを強要されて、とても怒っていた。
誰しもそれぞれに主観があり、それぞれの考えや自分なりの信念がある。もちろん、それは尊重されることだと思うが、だからといってそれがどんな人にも当てはまるかというと違うと思う。
例えば私がこうあるべきだと思っている何かは、他の人にとっては大したことがないこともある。反対に誰かがこうあるべきだと思っていることでも、私はそうあるべきだと思わないこともある。だから、自分がいいと思うこと、そうあるべきだと思うことを誰かに押し付けてはいけないということを訴えていると思った。
物語の主人公時田くんは、自分を常識人だと思い込んでいる人たちが考える「こうあるべき」という何かに真っ向から反論していて、私はそれがとても印象に残った。
そして思い出したことがある。小学生の頃、ある学級会で私の意見を言うと他のクラスメイトから変な顔をされたことを。
私は幼い頃から周りの人と考え方がずれることが多く、着眼点の違いに悩み、どうしてそんな考え方ができないのだろうと自分を責めたことが何度もあり、私の意見は言わないほうがいいのだと心のどこかで幾度となく考えたことがあった。
人生に迷ったときに読む本は、私の「周りと違う考え」を認めてくれた
そんな過去を持つ私にとって、時田くんの姿勢は、自分を責める必要なんかないのだと、私の考え方は私にとって大切な何かなのだと気づかせてくれた。私は私の思う通りに感じて考えて生きていいのだと気づいた。
あの頃は周りと違うことは珍しいものだったし、田舎特有の変わっていることは恥ずかしいみたいな考え方がそこここにあったのだと思う。
私たちはみんな少しずつ違うところがあり、それが人生をおもしろくもするのだが、時々、それを見失うことがある。違うことは全く悪いことではなくて、むしろ違いがあるからいいということを忘れる。違うことを認めて、それに気づいて受け入れることができる大人でありたいと常に思っていても……。
私は人生に迷ったときはいつもこの本を読む。物語自体のおもしろさはさることながら、そこここに散らばっている作者自身の考えや気づきに目が留まり、それらが私の指針になってくれている。目が留まるところは毎回違って、その度に私は泣くほど心が救われたり、今までの言動にハッとしたりする。
私はいつになったら自分は大人になれたと思うのだろう?少しでも自分が考えるような大人になれているのだろうか?
そう感じながら、これからもこの本を読み続ける気がする。