今の私を作った本、それはミヒャエル・エンデの「はてしない物語」だ。

いじめられているぽっちゃり体型の男の子が、古本屋で不思議な本を手に入れる。読み進めていくうちに本の中の世界に吸い込まれ、救世主として本の中の空想世界を救う旅に出ることになる。
世界を救う鍵は、本の外にある現実世界の子供達の空想力。
子供達が豊かな心を失い、物語を空想するのをやめてしまうと、本の中の空想世界も生き物も、"虚無"に吸い込まれて消えてしまうというのだ。
主人公の少年は、その豊かな空想力を武器に、崩壊した世界を創りなおしていく。

購買で菓子パンを買ったことさえも親に知られる。そんな毎日だった

私がこの本を読んだのは小学4年生の時だった。
田舎で親が教師だったため、私の生活圏内には教え子とその保護者が大勢いる。
スーパーや本屋、路上、どこにいてもすぐに話しかけられる。
「あら、○○先生のお子さん!」「先生にそっくり」「親が先生なら、きっとお勉強もちゃんとできるんでしょうね!」
私自身は誰からどのように見られても気にしない性格なのだが、保護者や生徒や他の教師らの反応を見ていると、「あ、これ私が何かやらかしたら、親の立場がかなりまずくなるやつでは?」と子供心に気が付いた。

高校の時、購買で菓子パンを毎日買って食べるのが好きだった。しかし、それを見ていた生徒だか教師だかから知らないうちに親に話が伝わり、「菓子パン食べてるんだって?弁当足りないのか?」なんて家で言われるのだ。
どこで誰が見ているか分からない。監視されている気分だ。その日以来私は、昼休みに購買へ行くのをやめた。

中学でも高校でも、地元にいる限りは"模範生"で過ごした。
揉め事は決して起こさず、主張も反論もせず、成績も満遍なくそこそこ良く、進学校へ。

監視されている気分でも、空想の世界は私だけの避難所で…

私は相手が誰だか全く知らないが、相手は私のことを、時にプライベートなことまで知っている。
知られて困るようなことはしていないのだけれど、なかなか居心地が悪い。
世界がすごく狭く感じる。
そんな時にふと「はてしない物語」を思い出す。私にはもう1つの、いや、たくさんの世界があるのだった。

どんな奇想天外な生き物やストーリーだって、主人公は現実の私と全く違ったって構わない。
人目を気にせず自分だけが自由にできる世界を持っているのは、とても楽しい。自分だけが知ってる秘密基地があるようで、ワクワクする。
空想の世界は、自分だけの大切な避難所だ。

ただ、大人になってからは現実からひたすら逃げていればいいというわけでもない。

SNSの世界に逃げ込む私。けれど、本が私を現実に引き戻してくれる

「はてしない物語」の後半では、救世主となり思いのままに世界を創造できる力を得た主人公が、さらなる権力を欲し、空想世界の帝王となるべく親友や恩人を追放、戦争を起こす。
そして力を振るう代償として現実世界にいた頃の記憶を失っていき、現実世界へ戻れなくなっていく。

身近な家族や友人は、時に耳の痛いことを言う。けれど、SNSでは顔も名前も知らない、けれど自分と同じ考えや耳障りの良いことを言ってくれる人とたくさん出会える。
それが救いになることもあるけれど、自分の思い通りになる世界に浸りきってはいないか、良いことばかりではないけれど、大切な現実の世界に戻れなくなってはいないか。
つい長時間SNSを見続けてしまっている時に、物語のラストを思い出し、そっとアプリを閉じる。

40年以上前の、ネット環境すらなかった頃の本だけれど、今現在も仕事や人間関係に悩み、逃避しながら生きる私のお守りになっている。