切実に誰かを頼ったときこそ、裏切られてきたような気がする。
私が巻き込まれる諸問題自体が、周りに馴染みがないというのも大きかったのかもしれない。平平凡凡に生きていれば、まず遭遇しないことのオンパレードだったようだ。
「退職」といえば簡単でも、手続き関係がハードでパニックに…
新卒の会社をクビになった理由と経緯も、当時の友人知人には理解されなかったし。
本気でぶっ倒れて働けなくなるというのも、身近な人間に起こっている事件としては認識されなかった。あるいはとにかく認識が甘かったように思う。
この件に関しては、実の母親とて例外ではない。
周りには理解されないような事件が原因で、新卒の会社を退職した時のことである。
「退職」と一言でいってしまえばあっさりとしたものだが、その実は結構ハード、というよりやるべきことがめちゃくちゃ多い。
端的にいってしまえばハローワークや役所に行って、あれこれ手続きをしなければならない。失業保険や社会保険の手続きがいい例だろう。そして必要に応じて、労基署に相談に行くなどの対応をとる場合もある。
あれやこれやと一気にいろいろする必要があるために、いきなりただただ放り出された身としては案の定、タスクの多さに混乱するのである。
そんなこんなで「これから何をすべきかわからない」「頭の整理に力を貸してほしい」という具合でパニックを起こして、母に泣きながら電話をした。
パニックになる私を鼻で笑う母。見つけた頼りは「行政制度」だった
これはパニック状態で泣きながら電話した私が悪いのだろうか?
母はその様子を聞いて、鼻で笑った後、私を馬鹿にしたのである。
「泣いているあんたの声をきけばいいのか?」と。
落ち着かせようとするでも、気分転換を提案するでもなく言い放ったので、「あ、この人、あてにならない」と思い、電話を切った。
自分が求めることを説明できるようになってからヘルプの連絡をすべきという意見を否定するつもりはないが、本当に切羽詰まった時にそんなことを言っていたら、救えるものも救えなくなるというのは念頭においてほしい。
何はともあれ、退職したとき以外にも「小説よりも奇なり」といった崖っぷちエピソードはたくさんある。母が絡んできたエピソードもたくさんあるが、事件が起こった時に一緒に大騒ぎするだけで、アフターフォローという点でサポートしてくれたことはほとんどない。
むしろ顔が見えるだけで母自身は安心するらしく、ぞんざいに扱われることが多かったので、自然と私から離れていった。
あれこれ積み重なるうちに、「とにかく人間という存在は気分や状況でコロコロ対応が変わるから安心できないな」と思うようになっていた。
では私は何を信頼して頼って生きてきたのだろう?
崖っぷちなあれこれを乗り越えてこれたのはなぜだろう?
そう考えたとき、私にとって確実に頼りになるものは『行政制度』だったのである。
頼りになったのは無機物的な制度。元を辿れば人の想いで作られたはず
とにかく制度やら法律やらというものはキッチリカッチリ「決まっている」のである。
決まっている以上は、その条件に該当した人に対して、その人に該当する処置を施す必要があるのだ。多少の裁量などはあれど、明記され決まっていることに例外はない。
そんなわけで本気で切羽詰まった時の生活費の工面という意味では、常にぎりぎりで暮らしている一個人よりも、各種行政制度のほうが確実に頼れるし、役に立つのである。
なんなら頼る相手の状況に振り回されないという点においては、一個人を頼るよりも安心である。
とにかく社会の荒波をかいくぐり、なんとか生き抜いてきた身としては「仮にここで失敗しても、あの制度があるから生活は担保できるな」と思えるのは、各種行政制度のおかげだ。
少々寂しく感じるかもしれないが、私にとって本当に頼りになる存在というのは「有機的な誰か」ではなく「無機的な制度」なのである。
この無機物的な制度も、元々は人の手で作られたものである。
元をたどれは、かつてこの国を生き抜いたご先祖様たちが残してくれた「人権」と「憲法」という宝だということもできるかもしれない。
今、現在の安心を手に入れられるのは、この国が紡いできた歴史のおかげなのだろう。
私を助けてくれている宝を守るのは、今を生きている私たちの最低限の義務であると、改めて実感せずにはいられない今日この頃である。