「言われた通りに解決させなきゃ」
「その場で望まれる『在り方』ってなんだろう」
無意識に、こんなことばかり考えるようになった。「その場を乗り切ること」がまるで重要事項みたいに。自分の意思を考えなくなったら、うまくいくことを知ってしまったたから。
そうしていくうちに、わたしはわたしの気持ちがどんどんわからなくなっていった。

「自分はいま辛いのだ」と自覚したのは、通勤電車で涙が出るようになってから。でもまだ、「何が辛いのか」わからなかった。

「大丈夫」であり続けなきゃ。わたしがわたしをわからなくなるまで

わたしにとって辛かったのは、お仕事を機に大きく変わった環境だった。
職場以外の人間関係がほとんどなく、同僚がいない社会人1年目。
誰にお仕事の愚痴を言ったらいいのか、誰に不安をこぼしていいのか。わたしにはわからなかった。お仕事のやりかたも生活環境も大きく変わった。
これまでもボランティアとして関わっていたけど、お仕事になると状況はやはり、本格的に変わっていく。

生活環境も関わる人も大きく変わったことに、わたしは少しずつすり減っていた。
でも、ずっと良い返事をやめることができない。この場で求められる私だったら「ここは弱音として言うかもしれない」なんて、本当は話したくないことを話すくせに、肝心の困りごとは「わかりました!」「やっておきます!」「大丈夫ですよ!」と繰り返す。そのたび、本当に大丈夫になっていくような気がしていた。
そしてそれは、お仕事や生活に慣れてきて「やりにくいな」と感じた時も。
伝えることも相談することも「大丈夫」でなくなる気がして、難しくなった。

やっと何か相談をしても、求められるのは「解決できたわたし」のような気がしてしまう。
「うまく行きました!」と報告するために相談している気分になってしまうのだ。だんだん、真剣であればあるほど、深刻であればあるほど口に出せず、「言いそうな相談」をこぼすようになっていた。嘘ではなかったけど、言いたくないことも、あった。
お仕事自体の悩みも「まあ、わたしが悪いと思った方が楽だな」と諦めることが増えていくうち、自分が何をどう思っていいのかわからなくなっていった。

抱えきれないつらさを自覚しても、捨てられない強がり

秋が終わりを迎える頃から、わたしは電車で泣くようになった。
通勤中に、家でふと気がついた時に、勝手に涙が止まらなくなる。職場の最寄駅でも家でも、タオルを濡らして目を冷やすのが日課になった。
それでもやっぱり、むしろ自分が「大丈夫でなくなるほど」職場では「大丈夫なわたし」を保とうと必死だった。自己満足かもしれないと今になって思うが、それでも必死だったのだ。

コロナの合間を縫って開催されたお仕事の対面イベントの翌々日、わたしはやっと「はなし聞いてほしいです」と、ようやくお仕事自体と関わりのない大人にLINEを打った。「つらいこと」を自覚し、抱えきれなくなってからやっと。
その日のうちに電話を繋いでくれたその人に、話を聞いてもらった。話の順番も声もぐちゃぐちゃだった。
長時間の電話が終わるとき、うまくお礼を伝えることができず「すみません!元気に切らないとですね」と咄嗟に口に出した。

「めげたらごめんなさい」。不安を口にした自分にわたしが驚いた

変なことを言ってしまった、まずいと心臓が跳ねると同時くらいに「元気が出たなら元気が出た、出ないなら出ないで構わないよ」「そう言ってもらった方があやちゃんはこういう状態なんだな、と思う」と電話口から声をかけてくださった。
「えっ」とか「あっ」とか言葉にならない声をあげ、落ち着いた時にわたしの口から落ちたのは「直面して、めげたらごめんなさい」だった。

「話を聞いてもらっているんだから、解決した結果をすぐ返さなきゃ!」とあんなに思っていたのに。
自分でもびっくりだった。

自分の気持ちを拾い上げることも「大丈夫!」と取り繕うことも、すぐには直らない。相手によっては一生「大丈夫だよ!」としか言えないままだとさえ思う。
それでも「すぐに大丈夫になる」わたしばかりに価値を委ねず、「こうなりました」「いま、こうです」と伝えられるわたしになっていきたい。
「こういう状態だ」を受け止めてくれる人も、いるんだから。