もし今あなたに会えたなら。
そう考えれば考える程、話したいことは沢山ある。
「今日はこんなことをしたよ」
「最近はあのお店が気に入ってるんだ」
「お酒も飲めるようになったんだよ」
「今度さ、昔連れて行ってくれたお蕎麦屋さんに行こうよ」
話さなくなった途端、共有したいことは何気ない日常のことばかりで。その度に、傍に居てくれるのが当たり前だと思っていたことに気づく。

思い返すと、ここ数年にあなたとした会話は、将来のことだとか、悩み事だとか、ちょっぴり重たい話題ばかりだったような気がする。
もちろん、そんな大切なことだからこそ相談したい相手だったけれど、何気ない会話をする時間が少なかったように思う。

たくさんのことを教えてくれたあなたは、私が最も尊敬している人

あなたは、私が最も尊敬している人だった。
地域の診療所の医師だったあなたは、周りの誰よりも頭が良くて、誰よりも頼りになって、たまに怒りっぽいこともあったけれど、誰よりも優しかった。
小さい頃、食べ過ぎでお腹を壊したり、公園で怪我をして泣いて帰ってきた私を、諌めながらも治療して気にかけてくれていた。
趣味で絵を描いたり、つる細工や藁細工を作るあなたの真似をしているうちに、何かを作ることが大好きになった。

沢山の本やビデオテープを買ってくれたから、今でも趣味は読書や映画鑑賞だし、りんご狩りや、動物園、色々な場所に連れて行ってくれたから、外に出て遊ぶのも好きだ。
人に感謝されて、仲が良さそうに会話をするあなたを見ていたから、人を笑顔にする職につきたいと思った。
今の私がここにいるのは、あなたが私に生きる楽しみを教えてくれたからだ。

夢ができて、高校を卒業してから上京し、専門学校に入った私は、中々あなたに会うことができなくなった。
授業で作った料理の写真を送ったり、たまに電話をして声を聞いたり、そのくらいでしか関わることができなくなってしまった。
今の時代、ビデオ通話もあるのだから、きちんと顔を見て話をしようと思えば、できたのかもしれない。
電話をしても、いつも簡単なやり取りをするだけで、長電話をしたことはなかった。もしかしたら、補聴器をつけていたから、電話の音は聞き心地が良くなかったのかもしれない。
それでも、もっと話をすれば良かったと思わずにはいられない。

成人の姿は見せられず、危篤から一週間以上後に祖父は息を引き取った

あなたは、祖父は、昨年の十一月末に亡くなった。
本当は一度危篤になったのだけれど、何とか持ち直して安定した状態になっていたらしい。
そこで、安心してしまった。
危篤だと聞いた時は心臓がばくばくと脈打ち、心配で眠れなかった。でも、「持ち直した」という言葉を聞いて、しばらくは大丈夫だと思ってしまったのだ。

そんな状態で入院している時点で、大丈夫だという保証など何処にもなかったのに。
危篤の報せを受けてから一週間後、私は二十歳になった。
数年後には成人の年齢が十八に下げられるとは言え、やはり特別な気持ちで迎えた誕生日だった。
成人した私を、一番お世話になった人に見せられると、そう思っていた。

数日後、祖父は息を引き取った。
ああ、そうだ、危篤の状態だったのだ。一週間以上も持ったことの方が珍しかったのだと、そう思い知った。
しばらくは、実感も湧かず、ただ呆然としていることしかできなかった。
コロナ禍もあり、帰ったところで見舞いにも行けなければ、病院に立ち入ることもできなかっただろうけど、自分の目で見ないと納得できなくて、何度も帰省するか迷った。
結局、地元に戻ることはできず、最期の様子や、内々で進む葬儀の話を聞いている内に、それが現実なのだとようやく実感して、目頭がぎゅっと熱くなった。

わたしもいつか、あなたのように人々が寄りかかれる場所を作りたい

もし今あなたに会えたなら。
そんなことはできないけれど、でも、それでも、あなたはずっと、私が一番尊敬して愛している人だ。
その事実はこの先一生変わらない。
こうして振り返ると、私が成人してやって行けるかどうかを見守ってくれていたように思う。

都合のいい捉え方だけれど、そう思いたい。
いつか、人生をまっとうして、あなたに会うことができる日が来るまで、私は夢を追いかけ続ける。
今はまだ未熟だけれど、好きなことで人を笑顔にできるぐらい腕を磨いて、地元で自分のお店を持ちたい。
業態は違うけれど、あなたがそうしていたように、私も人々が寄りかかれるような場所を作りたい。

いつかあなたに会えたなら。
その時はゆっくりお茶でも飲みながら、他愛もない話をしよう。
明日の天気、美味しかった珈琲、お気に入りの場所、話題は幾らでもある。
だから、それまで見守っていてね、おじいちゃん。