お金は、生きていくうえでとても大切なものだ。お金がなければ生きていけない。働くなら給料を確認するし、買い物をするのにも予算を立てる。そして人は、自分の財布の中身や貯金、借金に小遣いはもちろん、政治のお金の動きに敏感だったり、芸能人の貯金額に興味があったりする。
さらに世の中には、大金に目がくらんだり、明日を生きるために法を犯してまでお金を得ようとする者もいる。お金のために、愛のない結婚をする人もいる。夜の歌舞伎町なんかに行けば、それはもうお金と愛の地獄絵図が広がっているのだろう。
この世の中では、人がつくったはずのお金が、逆に人を支配しているような気がすることもある。

私はいつからか、他人と会うのにお金を必要とするようになった

私はというと、学生なのでアルバイト経験しかないが、それなりに働いて貯金もしたし、使いもした。金銭的自立というにはちょっと無理があるけれど、まだ少ない人生経験の中で、お金との付き合い方について考える機会は何度かあった。その中で一番大きいのは、私たちはいつからか、他人と会うのにお金を必要とするようになったことだ。

まだ小さな子供のころは、友達と遊ぶといえば、公園で走り回ったり、教室で絵を描いたりするのが普通だった。そこにはお金がある子もない子も関係なかった。ゲーム機やめずらしいカードを持っているかどうかくらいの差はあったが、見せてもらったり貸し借りしたりで、金銭面が友情へダイレクトに絡むことはなかった。何か買うといっても、10円20円のお菓子くらいだ。
もっとも、そのくらいの年齢なら、行動範囲も限られているし、中には困窮した家庭の子もいただろう。だけど、少なくとも私がいた公立学校では、放課後に遊ぶなら財布を持ち出す、なんてことはなかった。相手がどういう経済状況かなんて気にしたことはなかった。

成長と共にお金が友情に絡み、相手の経済状況が分かるようになる

それが高校生くらいからだろうか。行動範囲が広がり、アルバイトが可能になり、買うものはお菓子から服や化粧品になり、私たちはお金を必要とする遊びをするようになった。遠くの駅まで出かけて新しいショッピングモールを見たり、アイドルのライブに行ったり、はたまたデートで遊園地に行ったり。中には、高級ブランド品を自分で買う子も出てきたりした。
このころから、私は誰かと遊ぶときに、自分と相手の金銭感覚が、大体同じかどうかを確認するようになった。相手は食事がファミレスでもいいだろうか?買い物にいくら使うのだろうか?たまの贅沢は自慢に聞こえないだろうか?それがあんまり違うと、お互い困ることになるので、付き合いは浅くなっていく。お金が、友情に絡んでくるのだ。

大学生になり20歳を超えると、遊びの範囲はさらにぐっと広がる。酒にタバコに車が絡みだす。対人関係におけるお金の大切さは、もっと顕著に浮き出てくるようになって、着ている服や持ち物、遊びの内容から、大体の相手の経済状況が分かるようになってくる。同じ一人暮らしでも、親からの援助があるのかないのかは、他者の目からも見えるくらいにはっきりと分かる。通っている大学や学部を聞いて、実家の経済力が想像できることもある。かつてのクラスメイトがお金のために夜の世界に飛び込んだり、怪しいバイトに手を染めたという話を、風のうわさで聞いたりもした。

財布を持たないで誰かと会うことは、もうできないのかもしれないけど

私はお金の使い方に関しては、あまりギラギラしたことはしたくない派だ。大学生になっても、格安のファミレスに行くし、リサイクルショップも使うし、公園の芝生でピクニックもしたい。だからなんとなく、幼い日のことが遠く感じて、少し寂しくなることがある。もうあの時みたいに、安いお菓子を手に、公園でおしゃべりしたりすることはないのだろうか。芝生の上を走り回って、水道の水を飲むことはないのだろうか。これからはきっと、財布を持たないで誰かと会うことはできないのかもしれない。

もっともこれは成長の証であり、社会人に近づく準備段階であって、大人の目からしたら微笑ましいことなのかもしれない。若者はもっと派手に遊べ、なんていう人もいるかもしれない。だけど私は、少ししんみりした気分になる。年齢が上がるたびに、どんどん「お金」がその腹黒さを増していくような気がする。
もちろん、そんな事言ったってお腹はふくれない。生きていくためにお金は必要だ。
だけど私は、お金を使う側であり続けたい。決してお金に、欲望に、まみれて飲み込まれないようにしたいと思う。お金よりも大事な何かを、見失わないために。