こんな未来が待っているとは、思ってもみなかった。
兄弟が多いので裕福ではないが、食べ物に困ることなく育ててもらった。親の負担にならないよう贅沢を避け、お小遣いを貯金することが好きな子どもだった。

ネジが外れたのは、大学生の頃だ。お金を好きに使えることが嬉しく、授業中に寝て、それ以外の時間は扶養が外れないギリギリまでバイトをした。一人暮らしだったので咎める人もなく、高い服、飲み会、旅行三昧。
卒業して公務員になってからも、欲が止まらず、贅沢は加速していった。

身の丈に合わない贅沢な生活。そのツケはすぐにやってきた

こんなにお給料がもらえるんだ、と感動したのも束の間。脱毛、歯科矯正、料理教室、高級美容サロン……極め付けは、親から借金をして新車を買った。
カード会社から未納の請求書が届くこともしばしばで、友達からは「何でいつもお金ないの?」と不思議がられた。
身の丈にあった暮らしができなかったツケは、すぐにくる。

27歳で憧れのクリエイティブ業界に転職をした。
「やりたいことができたら、お金がなくても幸せ。最悪バイトすればいいし」
仕事を辞めて母を泣かせた日、そう意気込んだはずなのに。
最初の給料明細を見て、手が震えた。正社員でも手取りは前職の半分、10万円台だった。
住宅手当やボーナスなど、当たり前のように受け取っていた待遇が、どれだけ恵まれたものか思い知る。なんで貯金や税金の勉強をしなかったんだろうと後悔しても、あとの祭り。
欲しいものはもちろん生活費もギリギリで、お米が買えない。
「最悪」はあっという間に現実となった。

お金がなくて、仕事とバイトを掛け持ち。さらに実家にも泣きついた

上司の許可を得て、バイトとの掛け持ち生活。
誰にも言えていないけれど、大切な友人のご祝儀を用意するために、歓楽街でお酒も注いだ。人気が出るほど、身元がバレたり、事件に巻き込まれたりしそうで不安が募った。
他の方法で用意できないことが虚しく、苦しかった。この時期は、熟睡して次の仕事に遅れないよう、ほとんど座って眠っていた。
同じタイミングで恋愛もこじれ、引っ越しが重なった。引っ越し代は馬鹿にならない。「金の切れ目が縁の切れ目」というけれど、縁が切れるとお金がなくなることも教えて欲しかった。
もう、どうすれば生きていけるのか分からない。八方塞がりだった。泣いて実家に電話すると、呆れながらも翌日、「お金振り込んでおいたよ、返してね」と連絡をくれた。

自分が恥ずかしくて、このままじゃダメだ、とお金について真剣に勉強を始めた。少しずつ家計を管理できるようになり、収入も上がってきたので、借りたお金はなんとか返せた。
今はバイトせず、貯金しながら生活できている。もう二度と、ビクビクしながらお札を受け取る方法は選びたくない。
お金の怖さは身に染みたけど、なんだかんだ自分の選択に後悔はない。やりたかったことに挑戦できたし、失敗も含めて様々な経験ができた。これからの生活に不安はあるけど、それは行動して変えるしかないと学んだ。

お金の怖さが身に染みた。そして愛情をくれた両親には感謝しきれない

ただ、そう言えるのは、私をずっと愛してくれた両親がいたからだ。
せっかく学費を払って一人暮らしもさせてくれたのに、ちゃんと勉強しなくて、迷惑をかけてごめんなさい。父は退職金で買った憧れの車を売って、私が維持できなくなった車を使っている。それを思うたびに心が痛い。
両親のおかげで、お金の良い面もまじまじと感じてきた。お金は、お米にも、自由へのチケットにもなる。足を引っ張るだけでなく、人を守ってくれる。

まもなく30代だ。もっとお金と仲良くなれたら、やりたいことが二つある。
一つは、両親をたくさん旅行に連れていってあげたい。感謝しきれないけど、もらった愛情を少しでも返したい。
もう一つは、いつか子どもを育てられる日がきたとき、両親がしてくれたように守り抜きたい。もちろん、私と同じ轍を踏まないように、お金の知識はしつこいほど伝えていくつもりだ。