「今、いくつなの?」
「24歳です!」

この会話をするたびに「え、ちょ、まじか……自分、24歳なのか……」と思う。よく友人たちと話題になることがある。
もし、自分たちがテレビの街頭インタビューを受けたとしたら、テロップには「24歳女性」と表記される。
当たり前だが、違和感しかない。これは果たして本当なのだろうか。

「24」という数字にどうしても追いつけず、心はずっと中学2年生

私はいまだに仲の良い友人と遊ぶ時は大体お決まりの、ファストフード店にいく。
決まって話は推しのアイドルの話。
一丁前に大人ぶった話題で話してみるが、どう遠回りしても話の着地点は決まっていて、結局気づいたらこうなっている。
「えっ昨日のYouTube見た?」
「ガチでリアコだったし、こんときの笑ったときの歯が可愛くない?」
ゲラゲラ笑って、「はあ……」。

私たちは我に返る。
「うちらってさあ、ずっと中学2年生じゃない?」
「こんなこと、いつまで話してるんだろうね〜」
そんなことを話しながら、フライドポテトを揚げたてのうちに食べたい私たちの手は絶えず口へ、熱々のポテトを運ぶ。

ここで重要なのが、決して中学1年生ではないという点である。
流石に中学1年生からは少し成長してい……る……はずだ。
もちろん焦りはある。
「自分はいつ大人になるのだろう」と。
SNSを見て、同級生たちが自分が行ったこともない高そうなお店で高そうなご飯を食べていたりすると、「すご!高そ!けどそっかあ〜。24歳だもんな、私たち」と思う。
24歳だから高そうなお店に行くのだろうか?自分でもわからないが、無理矢理納得する。

お風呂で1人、将来のことを考えて不安になることだってある。
成人式も終え、お酒も飲める、投票にもいった。
だが、「24」という数字に自分の心の中はどうしても追いつけない。

体感が中学2年生ということは、私には「大人」の伸びしろがまだある

20歳という年齢を超えれば、自動的に見た目も心も大人になるものだと勝手に思っていた。
もちろん、そんなことはありえなかった。

生活をしていれば、周りからは見た目も「大人」に見えている。
あと、私は見た目が割と老けているのか、「大人っぽいよね〜」とか「落ち着いてるね〜」とか言われる。学生時代のバイトでもお客さんに「社員さんですか?」と言われたことだってある。
だが、中身が体感、中学2年生なのだとしたら、これから「大人」を感じられる伸びしろがあるということなんじゃないだろうか。

ただそんな私もたまに「大人」を身近に感じる時だってある。
どこかへご飯を食べに行った時、自分と同じか少し年上くらいの年齢のお母さんが子供をあやしながらご飯を食べさせていた。
自分もお腹が空いているはずなのに自分よりまずは子供に、と真剣に食べさせている。
「すごいなあ、私なんて自分で熱々のポテトを自分が食べることで精一杯なのに、自分もいつかああなる日がくるのだろうか」
そんなことをふと考えた。
なんだかそう遠くない未来のような気がして、少し背筋がシャキッとした。
私はこれからまだまだ成長するんだろう。
きっと「大人」にならなきゃいけない時が嫌でもくる。
年齢は数字に過ぎない。
そんな時がくるまで私はまだまだ、中学2年生の24歳でいたい。