まず最初にざっくり言ってしまえば、私は仕事をすることが嫌いだ。
毎朝まだ寝ていたいと思う体と心にムチ打って起きないといけないし、まず第一に家から出たくないし、仕事に行けば行ったで嫌な思いをすることが何度もあるし……。
しかし、そうも言っていられないのが現実だ。働かずに毎日生きていけるわけもなく(今は夫が主に働いてくれているが)、安定した収入がないとご飯も食べられないし、家賃も払うことができない。子どもたちのことも生かさないといけないし、そもそもの生活が成り立たなくなってしまうのだ。

私は安定した生活のために、やりたくもない仕事を仕方なくやっている

仕事が嫌だと思うのは、前提として仕事をすることイコール嫌なこと、やりたくないことと思っているからのような気がする。
例えば、絵を描くことが好きな人にとって、一枚絵を描いて数万円もらえるならそれは特に苦とは思わないだろう。
他にも、例えば子どもと関わることがこの世の何よりも好きという人にとっては、保育士という仕事は楽しいだろうし、書く本が全てベストセラーになるような作家は、ずっとこの仕事をしていたいと思うはずだ。
きっとそれらは、自分の好きなことや得意なこと、やりたいことが安定した収入に確実につながるからで、人間誰しもそうしたことだけをしていたいと思うのはごく普通のことだ。

しかし世の中、必ずしもそうはいかない。きっと私を含め世の中の大半の人たちは、安定した生活のためにやりたくもない仕事を仕方なくやっているのではないだろうか。
お客さんや先輩、上司に理不尽に怒られ、朝から晩まで貴重な時間を奪われる。これが心から楽しめていることなら特に問題はないだろうが、そうでない場合が多い。
私も、そういう経験をたくさんしてきた。しかし、収入を得るためにそうせざるを得なかったのだ。

コミュニケーションを取ることが苦手だったが、仕事を通して好きになれた

そんな辛くてしんどい毎日の中でも、仕事をしていて良かったなと少し思えることがある。それは、人と話すことが少し好きになったことだ。
元々私は、人とコミュニケーションを取ることが壊滅的に苦手だった。短大生の時に初めてした百円ショップのアルバイトで、人と話すことが出来なさ過ぎてレジをやらせてもらえなかったほどだ。
さらに次の工場での派遣の仕事も、先輩に散々きつい言葉で注意され続け、かなり自分に自信をなくしていた。私は接客をするまでもなく、人と話すことが根本的に向いていないのだと改めて痛感した。

しかし、次に始めた弁当屋のアルバイトで、辛抱強く接客を教えてもらい実践するうちにみるみる上達していった。まだスムーズにコミュニケーションが取れるわけではないが、学生時代に比べると格段に良くなったと思う。
ずっと仕事に対して嫌だとマイナスなイメージしか持てずにいたが、自分のためになるなどちょっと良いこともあるんだと思えた。

長い人生の中で、私も少しずつ仕事を好きになっていきたい

私は、仕事をしている人たちを心から尊敬しているし、すごいと思う。このコロナ禍で、閉店してしまったお店がたくさんある。
しかし、そんな中でも私たちが普通に生活できるのはまだ営業しているお店と、そこで働いている人たちのおかげだ。彼らがいなかったら、美味しいものを食べることもできないし、病院にも行けない。世の中が回らなくなってしまうのだ。
これからの長い人生の中で、私も少しずつ仕事を好きになっていきたいと思う。