人生で初めて、高価なチョコレートを買った。百貨店の催しでは、初日に売り切れるような代物。予約して何とか手に入れた。
ただ相手は、恋人ではない。好きな人でもない。行為をするための友達と言われたら少し違う。形容しがたい男性。

本来は、好きな人、否、お世話になった会社の先輩だった。
部署の業務で心身ともに疲弊した私を庇ってくれて、プライベートでもドライブがてら私の相談に乗ってくれた。
私が部署を辞めることになった頃、偶然新型コロナウイルスの流行が縮小していたこともあり、他の先輩方と複数人で食事にも行った。私が抱いていた感情は、限りなく恋愛感情に近いものだった。

先輩が家に来てそういう流れに。私が言う「好き」は泡沫の如く消えた

部署を辞めた日、開放感から先輩に連絡をした。ドライブではなく、どこかでお酒が飲みたいと。すると返信が来た。
「今から家来るね」
胸騒ぎと共に、期待した。いつものドライブであれば私の家に来ても問題はない。ただ今回は違う。私の家でお酒を飲む、男性と、二人で。つまりはそういうこともする可能性がある。
会社内の人とこんなことをしてもいいのかと揺らいだが、同時に自らの下着がお気に入りの上下セットだったことも確認した。

そして案の定、そういうことをした。最中、私が言った「好き」は泡沫の如く消えた。それから、何とも定義できない関係になった。

私が「会いたい」と言えば、生理でできなくても会いに来てくれる。先輩は行為中、優しい声と嗜虐的な声を使い分ける。それは私の心をさらに酔わせた。ただ会うたびに、後者の声の比率が高くなっていった。それでも会った。
先輩に抱くものは、恋慕なのか性的興奮なのか、もう分からなかった。

お礼も言われず忘れられたチョコレート。何かがぷつりと切れた

そうしてやってきたバレンタイン。恋人ではないけれど、この時期に男性が傍にいるのは初めて。気合を入れて購入した。

互いの都合がつかず、会えたのは数日後。換気扇の下で煙草を吸う先輩に、横の冷蔵庫から紙袋を取り出し渡した。
「バレンタインなので美味しいやつ買いました」
すると返事はこうだ。
「へえ」「帰ってから食うからそこ置いといて」「もうそれ俺のだから、お前食うなよ」
その後先輩が果て、帰っていった。チョコレートを置いて。

切れかかっていた何かが、ぷつりと、音を立てたように感じた。
もちろん、お礼という見返りのために買ったわけではない。自分がこれほどまでに大事にされていないことに気付いたのだ。
元来、私は恋愛に関して、気持ちが大きくなって収拾がつかなくなる性分だ。今までの恋愛でも「あなたの好意に胡坐をかいているように見える」と友人から指摘を受けてばかり。
相手を好きだと思う気持ちで、無意識のうちに自分をすり減らしていたらしい。今回の恋愛で、ようやく自覚できた。

決意新たな私に、あげるはずだったチョコレートの甘さが沁みる

一部始終を友人に話すと、こう言われた。
「仕事にも集中できてない状態で恋愛するからそういう相手を好きになって、相手に下に見られる」
どうせ自分には何もできない、何を頑張っても報われないと燻る私は、ただただ頷くばかり。

今は部署が変わり、自分がしたいと思える仕事を任されるようになった。その中で、自分で勉強していきたいと思えるものも見つかった。
文章を書くこともその一環。今は誰かを想うことは辞め、自分の心の赴くままに挑戦しようと思う。
そう決意をした私の心に、あげるはずだったチョコレートの複雑かつ繊細な甘さが沁みた。今まで食べた中で一番美味しくて、どこか優しいチョコレートだった。