「お前、顔色悪いぞ。大丈夫か?」
「元々こんな顔ですよ(笑)」
とてもじゃないけど、言えなかった。
前日の夜、仕事に行きたくなくて号泣しながら深酒していた、なんて。
だめな自分はいなかった当時の私には、いろいろな症状が出ていた
2021年1月3日、仕事始め。上司は私の顔を見るなり、冒頭の言葉を言った。
内心、ハッとした。きのうの号泣&深酒がばれてるようで。私の心の弱さを見透かされているみたいで。
ハッとしたあと、「昨日仕事行きたくないって泣いてたんですよね~」って言ったら、どうなったのかなとも思った。
そんなことを思った自分に笑ったが、ふと思い浮かんだことは当たる。その5カ月後、私は適応障害を発病する。
もし今、仕事始めの私に会えたら、「いい加減、認めろ」「病院に行け」と言いたい。
その2カ月前に「なんのために仕事をしているのだろう……」と気持ちの糸が切れただろ。それを誤魔化すために、仕事以外の起きている時間のほとんどでお酒を飲んでいただろ。寝られないからって、たくさんのお酒飲むことで酔って寝落ちするように仕組んでいただろ。日記にもたくさんの弱音を吐いていただろ。いろいろ症状は出ているではないか、と。
でも、私が認めるのは「自分の心の弱さではない」ということも合わせて伝えたい。そういう病気なのだ、弱いわけではない。
ただ言ったとして、そのときの私はいうことを聞かないだろう。プライベートをなんにも知らない上司が雰囲気を見て私の不調に気づくほど外に漏れてるのに、私は仕事に行き続けているのだから。
というか、信じる信じないの話ではなく、当時の私のなかに“だめな自分”はいなかった、のだ。
10年かけて作り上げてきた強気な自分にかける言葉は断定形だ
私はいままで、あえて“強気な自分”を演じてきた。経験上、「失敗したらどうしよう……」と考えてやるより、「これだけ努力したのだから大丈夫」とやる方がうまくいくことが多かったのだ。
自己暗示の1つとして、「自分は強い」と言い聞かせ、そういう自分を求め、愛し、誇りに思ってきた。
思い込むためには、かなりの努力が必要だ。実際の努力と、暗示するための努力。それを10年以上必死にやってきたら、弱い自分の出し方なんてわからなくなる。そもそも私のなかに弱い自分なんて存在しない、ということに、なっている。
ということは、仕事始めの私に掛ける言葉は「いい加減、認めろ」「病院に行け」ではなく、「もう、大丈夫じゃないよね」だ。疑問形じゃなくて、断定形で言ってほしい。そうしたら取り繕うのを諦めて「大丈夫じゃないです」って言えると思う。
常に体内にアルコールが残っている状態で、不眠が続いていて、気持ちが切れかけてて……と。素直に吐ける、かもしれない。
長い舞台に幕が下ろされた今思うのは、次はありのままでいこう
適応障害という名前がついて、休職をしている現在、これまでの“強気な自分”を演じてきた長い長い舞台に幕が下ろされた気分だ。
長かった舞台だった。次はどんな舞台の幕が開くのかまだわからないし、もう一度自分の足で立てるようになるのかすらわからないけど、今度はもう少しありのままでいこうと思う。
さぼる自分、ちょっと力を抜く自分、情けない自分……これまで自分が排除して目を逸らしてきた自分を愛してあげようと思う。
もし今、仕事始めの私に会えたなら、「今までよく頑張ったね。でも、ダサい自分も悪くないかもよ」って泣き笑いで言うだろう。