今、いちばん欲しいもの。それはたぶん、人と接する時間だと思う。
これはおそらく、コロナに巻き込まれた今の世の中を生きている人なら、誰しも一度は経験のある感情ではないだろうか。

コロナが流行して2年。不満はあるけれど少しずつ順応できている

間違いなく、コロナによって、社会の価値観やシステムは変化した。そして、コロナ前の生活に全てが戻るとは、もういよいよ思えない。
気付いたら、コロナが流行して2年も経過している。最初のうち、突然に始まった全国一斉の緊急事態宣言の頃から思い出してみると、私自身も、最初こそ、いよいよ途方に暮れるほど、なぜ自分が生きているこのタイミングで歴史的な出来事が起きたのだろうと、どうにもならないことをひたすら嘆きまくった。
しかし、時がたてば、少しずつ、順応できているようにも思う。不満はたくさんあるけれど。

しかしだ。やはり、人間は、人と接し、話さないと、心は動かない。私はつい最近、これを仕事の中で経験したので、そのことについて書いてみたい。

他人といる時間が、こんなにも愛おしいとは。感情が揺さぶられた研修

宿泊の研修が1週間行われた。コロナで直前まで開催されるか分からなかったが、無事に開催され、参加した。

人と一緒に食事をするとか、寝泊りを一緒にするとか、普段、1人暮らしの自分にとっては、他人のいる生活があまりに久しぶりすぎて、そういえば家族と一緒に暮らしていた頃は、こんな感じだったのだろうかと、正直、感動した。

ユーチューブをひたすら再生しまくったり、どうにもならないことをひたすら考えまくったりして過ぎていく時間とは全く違う。目の前に起こる出来事や湧き上がる感情を共有出来る他人がいる。そして、自分の感情を言葉にして発する。
当たり前にしている生活の中での一瞬一瞬が、もはや新鮮で、私は感動した。

他人の意見や感情を聞き、自分と比較する。なるほど他人の感情はやはり自分にはないものがあって、率直に面白い。自分の発する言葉に、自分が思ってもいなかったくらい他人が笑ってくれる。それだけで、自分に存在価値があるのかなと思え、びっくりするくらい嬉しかった。

また、他人の何気ない優しさが、目の前に次々に舞い降りてくる。どんなに楽しいユーチューブを見ていても、こんなに嬉しくなったり、心が温まったりはしない。他人といる時間が、こんなにも愛おしいとは、逆に1人でいた時間が長かったからこそ、その価値に気付くことが出来たのだとも思う。

感情が揺さぶられる中で、あっという間に1週間が終わってしまった。どんなに一生懸命1人で頑張っても他人がいないと出来ないことって、やっぱり山ほどあるなとつくづく思いながら、また1人暮らしの家に帰った。ドアを開けた瞬間から、誰もいないその部屋が、ものすごく冷め切った空気に包まれているのを実感し、現実に戻った。

リモートで伝えるのには限界がある。人と接することの大切さを感じた

研修自体にも、学びがあったが、個人的には、人と接することの大切さを身をもって感じた研修となった。まだまだ制限の多い世の中で、息が詰まる。だけど、そんなタイミングで私はこの1週間、自分の感情がこんなにも動くとは、他人の力がないと、やはり人は生きていけないと感じた。

人の優しさはやっぱり、リモートでは直に心に伝わってこないし、自分の感情もまた、リモートでは伝えるのに限界がある。どんなに社会の価値観やシステムが変化しても、人間が直接、接する時間の大切さは、きっとこれからも変わらないと信じたい。

1人暮らしの部屋には、誰もいないから、私は真っ白な壁に向かって、「おはよう」を今日もつぶやこう。何も返ってこないのは分かっているけれど。