大正時代の東京に住む、裕福な家の三男坊に生まれたかった
大正時代に東京に住む、裕福な家の三男坊に生まれたかったと思っている。
突然なんだと言われそうだが、もう一度言わせてもらう。大正時代に東京に住む裕福な家の三男坊に生まれたかった。
この話を今まで何人もの人にしているが、誰一人として同意してもらったことはない。でも、それで良いのだ。競争率は低い方がいい。
私が裕福な家の三男坊に生まれているときに、同意をしなかった彼・彼女らは今と同じ生活をすれば良い。私の夢を笑った者は私の夢に泣くのだ!
何故突然こんな話をしたかと言えば、大正時代に東京に住む裕福な家の三男坊に生まれれば、私が敬愛(というより最早、愛)する、太宰治に会えるからである。
先日、また彼の住んだ三鷹に行った。三鷹のアレやコレやはかなり詳しくなった。早く今住む地から出て三鷹に住みたい。彼のことを考えれば考えるほど良く分からなくなる。彼のことがではなく、自分が彼にどんな感情を抱いているか、だ。
恋はするものではなく落ちるものである、と言われたことがある。気持ちは分かる。私は恋がよく分からないので、好きなキャラにハマったときのことを思い浮かべていた。確かに、見た瞬間ビビビと来たこともあるので、ああ、あんな感じか、と思っている。
でも「彼」にはビビビときた、というよりは、まるで注射をされたようにじわじわと染みてきたのだ。いや、まるで夏の暑い日に外で遊んだあとに飲んだスポーツドリンクのように。
この感情が恋なのか、愛なのか、崇拝なのか、はたまた、ただのファンなのか。それを見極めるために、私は彼に会いたい。
ビビビときた「彼」に一度、私の小説を読んでもらいたい
ここまで読んで、なんで「三男坊」なんだ、と思った人もいるだろう。もちろん、テキトウに言っているわけではない。ちゃんと理由はある。家を継ぎたくないのと、できるだけ責任を取りたくない、という立派な理由が。
そしてなぜ「男」か? 簡単だ。一緒に心中するのは御免だからである。檀一雄だって心中未遂をしたじゃないか!という声には耳を塞ぐ。というのは半分冗談。大正時代に文学を志すなら男であるべきだ。
東京の裕福な家の三男坊に生まれた佐藤は、文学を志し帝大に入学。同時に憧れの「彼」のもとに自分の書いた文章を持っていく。
我ながら完璧な計画である。スッカスカだって? 大筋さえ決まっていれば、なんとかなるものである。
彼に会ったときのために、なんて話すか考えておこうか。いや、初めては手紙を送るべきだ。そこそこの長さの手紙を。
拝啓 太宰治先生
突然の御手紙を失礼します。私は東京都文京区○×に住む、佐藤すだれと申します。
先生の「晩年」を読み、先生の文章に夢中になりました。こんな文章がこの世に存在するのか、と感銘を受けました。
私も文字書きを目指しています。
つきましては大変ぶしつけなお願いですが、一度私の小説を読んでいただけないでしょうか。
先生の都合のよろしい日時で構いません。是非一度、私に機会をください。
それでは。お返事いただけることを心より願っております。
敬具
東京都文京区○× 佐藤すだれ
……我ながら完璧である。気持ち悪がられること間違いない。大正時代に東京に住む裕福な三男坊に生まれなくて、本当に良かった。
そして私が「彼」に抱く感情の答えを「彼に会って見出す」というのは、まさしく野暮というものである。
会えないからこそ「彼」を想う。想像上の「彼」を今日もいつくしむ
もし今「彼」に会えるとしたら、それはもう光栄極まりない。今すぐ会いたい、話ができなくても、せめて、生きる彼を一目でいいから見たい。心からそう思う。
けれど、会えないからこそ、ここまで彼を想い続けることができるのかもしれない。
私の「彼」への感情は、「恋」と「愛」と「崇拝」、そして少しの「憧憬」が入り混じった、複雑なものなのではないか。そう思う。今の私の感情は、きっとどの時代に生まれても、どうせ抱いているのだろう。
これは私の持つ「業」なのだ。だとすれば仕方がない。私は「彼」に会えないが、その分勝手に、私の抱く想像上の「彼」を、今日もいつくしみ続けよう。