母に会いたい。25歳の母に。
私の母は過酷な家庭環境で生きてきた。そのため若い頃から大黒柱として朝も夜も働いていた、らしい。詳しくは知らない。彼女があまり昔の話をしたがらないからだ。
過労死だ、働き方改革だとか叫ばれる前の時代だ。きっと、時代も相まって壮絶な毎日を送っていたに違いない。
どんな暮らしぶりだったのだろうか。
出来ることはなんでもやっていたと聞く。そのうえ夢もあったらしい。韓国でアパレルショップを開くこと。それが彼女の夢だった。今思うとなんて時代の先取りなのかと母の先見の明に驚く。

あの頃の母なら、私の今の状況をどう思うのだろうか

彼女が今の私を見たら何と言うのだろう。
家族から離れ、縁もゆかりもない地で働く私。慣れない生活様式、異なる人間性。ワーク・ライフ・バランスがどうとか言われている現代において時代に反した過酷な労働環境。それら全てが私の心のゆとりを奪っていく。
転職したい。地元に帰りたい。だけど逃げられない。仕方ない。今日が始まる。それが毎朝会社に着く1分前に思うこと。

そんな時、ふと思うのだ。
あの頃の母ならどう思うのだろうか、と。
きっと、彼女なら耐える。耐えてしまえる。与えられた仕事以上の働きをこなすはずだ。そう考え自身を振り返る。
なるべく職場では息を殺し、任された仕事のみをこなし、それ以上の仕事が回ってこないよう立ち振る舞う。それでも仕事が辛い、逃げたいと思ってしまう弱い自分。「これじゃダメだ」と踏みとどまる。それの繰り返し。だけど、それも疲れた。

25歳の母に会いたい。想像の中の彼女ではなく、ありのままの彼女に

25歳の母に会いたい。
想像の中の彼女ではなく、ありのままの彼女に。
もしかしたら彼女だって逃げたい、辞めたいと思ったことがあるかも知れない。
仮病を使って仕事をすっぽかしたことも一度や二度、あったかもしれない。
ムカついてムカついて仕方なくて、私みたいに日記に怒りを書き殴ったことだってあるかもしれないし、わざと濃いコーヒーを出したりそんな小さな復讐を日々の中で実践したことだってあるのかも。なんだか想像すると笑えるけど。
あとそれから、もしかしたら母だって人知れず泣いたことがあるかも知れない。
私の想像の中の母はいつだって完璧で、仕事に妥協を許さず励む姿ばかりだ。でもひょっとするとそうではなかったかもしれない。そんな全然完璧じゃない等身大の彼女に会ってみたいのだ。そしたら何か変わるかもしれない。一緒に愚痴ってみるのも面白いと思う。20年たっても社会人の愚痴なんて大して変化ないのかも。

私を妊娠して夢が白紙になった母に、自己満足でも謝りたい

だけどやっぱり、1番は会って謝りたい。
25歳の母に謝りたい。

彼女には夢があった。韓国でアパレルの事業を起ち上げる夢だ。
しかしそれも結局、私を妊娠したことで白紙になった。店の場所も決めていたらしい。軽い昔話として彼女は話していたが、今思うと胸が痛い。
何となく働いているに過ぎない私が、目標に向かってがむしゃらに働く彼女の夢を奪った。それが大体25歳の話。

自己満足にしかならないが、ただひたすらに謝りたい。
ごめん、25歳だったお母さん。