「1番欲しいモノは何か」
そう聞かれると、手に残るモノであれば推しのコンサートDVD、音楽プレイヤー、タブレット端末などと思ってみたけど、どうしても欲しいものではない。
心は健康になるという意味では生きていく上で必要なのかもしれないが、これらがあってもなくても生きていく上で特に困らないからだ。

今自分にとってはそのモノたちよりも、コロナ禍により生活が制限されてしまった「やや自由な監獄」から、コロナ禍が収まって自由に動ける世の中へ「脱獄する」という状況が一番欲しい。

実家暮らし。彼氏もいないし仕事も向いているか分からなくて

2年前コロナ禍になってから、仕事と自宅の往復の日々が続く。医療系の仕事上、遊びに行くことも憚れる。
コロナになったら職場に迷惑がかかると知らぬ間に神経をすり減らしている中、SNSを見ると友人達は楽しそうに遊んでいたり、結婚など順風満帆にしている。実家では母が全ての家事をしていて私は何もしない。といっても、しても母の家事ルールがあるのであまり触れてはいけないのかと思い、していないところもある。余計なことをするとグチグチと言われる。

そして父は遠方に単身赴任をしているのだが、まん延防止や緊急事態宣言下でも実家に帰ってきて友人と飲みに行く。それについて言及すると、ものすごい剣幕で「コロナになってないからいいじゃないか!お前の方がコロナになっている!」などと怒鳴られたこともあった。
怒鳴られる自分に非があるのか、言い方が悪いのか。自分は実家暮らしで彼氏もいないし仕事も向いているのかも分からない。そんな自分は意見を出してはいけないのか、自分って必要なのだろうか。でも仕事は辞めてもすることもないし、とりあえず我慢しよう。

そう思って過ごしていたが、我慢が積み重なったのか、今まで流せていた事柄でさえも流せなくなっていた。今までは友人たちとくだらない話をして発散していたところも、コロナ禍で会うことも出来ない。元々ネガティブなところに拍車をかけて、理由はないが全部自分が悪いんだ、そう思い込むことが多くなってきた。

ネガティブを抑えるために、SNSと連絡先を遠ざけたけれど…

とにかく変えないといけない。そう思い、頻繁にアップされる幸せ投稿を見ないためにSNSを辞めた。そして精神的にしんどくなる人達を断ち切りたいと思い、ここ2、3年連絡を取っていない人たちの連絡先を消しまくった。20人程度に減った。
減ったからどうということもないが、心はなぜか晴れた。しかし、やっぱり仕事はともかく父のことでもやもやが止まらない。

父は普段は温厚であるが、1つでも気に食わないことがあると責め立てて言うところがある。今回の件も、自分が悪くないとなれば責め立ててくるだろうと考えるとしんどかったが、勇気を出してコロナ禍でされた嫌だったことを父に話すことにした。
案の定やや責め立て口調であったが、涙ながらのこちらの訴えが届いたのか聞き入れてくれることとなった。母にも同様に同じように意見を言うことは出来た。

もしこのコロナ禍が収まっていたら。そんなことを考える日々

ただ話し合いから半年経った今。母はともかく父から気を遣われすぎて逆にしんどくなっている。そして私自身も以前のような父との接し方が分からないため、冷戦のような状態が続いている。

新型コロナウイルスの流行により、自身の変えなければいけないことを明確に出来たことはよかったところではあると思うし、気づきもたくさんもらえたと思う。
しかし、コロナ禍が収まって自由に動ける世の中があれば、父との距離感はここまで変わっていただろうか。そしてこんなにも精神的にしんどくなることはなかったのではないか。
そんなことを考えると、やっぱりコロナ禍が落ち着いた世の中が1番欲しいと切に願う。