もったいない精神と、お気に入りは使い込む気質が合わさって
エコ、と言われて最初に思い付いたのは、3Rでした。リデュース・リユース・リサイクル。この中で今、私に語れるものがあるとすれば、リデュースぐらいでしょう。
元々、物持ちは良い方だと思います。「物は使えなくなるまで使う」というもったいない精神と、「お気に入りを使い込む」という生来の気質が合わさったものでしょう。
折り畳み傘に自転車、腕時計と、日常的に使うものの中にも十年選手がごろごろいます。大切にはしていますが、壊れ物を扱うように接しているわけではないので、錆びたり傷が入ったりはしょっちゅうです。それでも、修理したり部品を交換したり、そのままにしたりして使い続けています。経年劣化を勲章の様に感じている節すらあります。
しかし、そんな自分でも使い過ぎているな、とときたま思う物たちがあります。それは服です。小学校高学年でほぼ身長の伸びが止まった私には、服が小さくなって着れない、という事態に陥ったことが長くありません。
結果、お気に入りの服は捨てられずに溜まっていく一方でした。パンツやスカートは、歳によってデザイン的に着るのが厳しかったり、野外活動で損傷したりとふるいにかけられましたが、そうはいかなかったのがトップスや上着の類です。特にTシャツなんかは、色が褪せ、生地が薄くなり、襟ぐりがへたっても、部屋着や寝巻きにランクダウンしながらも現役のまま。「着れる」限り捨てられず、着続けてしまうのです。
究極の紺のダッフルコート。小五から着続けてついに穴が空いた
ここまでくるとエコではないかもしれません。リデュースなんてたいそうなものではなく、私がただ、捨てられない人だというだけで。
ともかく、そんな服の中に、紺のダッフルコートがあります。いえ、ありました。
ダッフルコートは、結構スタンダードな部類のコートだと思っています。フォーマルにもカジュアルにもなり得るし、幅広い年代に着られているコート。しかも色は紺という、スタンダードの乗算です。
私はこのコートを小学五年生のときに買ってもらい、以来ずっと着ていました。来ている間にダッフルコートのブームは二回来ました。流行が一巡りしたのです。
厚手の頑丈なコートだったとはいえ、風の子の外遊びに付き合わされ、中高と制服の上に着て、雪の日の防寒にも引っ張り出されと十二分に着倒された結果、擦り切れてしまいました。それでもしばらくは誤魔化していたのです。ちょうどカバンが当たる位置で、だからこそ擦り切れたのですが、隠れましたから。しかし穴が空いてとうとう白旗を上げました。新しいダッフルコートを買ったのです。
これが私のリデュース、限界まで着たコートの話です。もう私の元には新しいダッフルコートがあります。そして、穴の空いたダッフルコートもまた残されました。着ることもできないまま、クローゼットの中に居座っています。十何年分の愛着が、私に捨てるのを躊躇わせたのです。
それでも捨てられないコート。次はリユースしてみようかな
そして私は思い付きました。これをリユースできないだろうか、と。コートとは、違う形で。
擦り切れて穴が空いたところを除けば、生地は十分厚く丈夫です。触り心地も良いし、多少オーバーサイズだったこともあり面積も広い。クッションカバーにできるかもしれないし、もっと手を加えれば、ポシェットやポーチに作り替えることもできなくはないでしょう。ボタンは良い飾りになるでしょうし、ポケットもアクセントになるかもしれません。
これらはまだ、想像の段階です。私は別段手芸が得意なわけではありませんし、うまくいくかもわかりません。それでも、やってみよう、やってみたいと思います。
そしてもしこのダッフルコートを何かに生まれ変わらせることができたなら、それはとっても素敵なエコになると思うのです。