セクシャルマイノリティであるLGBTQなんて、どこか遠い国の存在だと思っていた。

「あたしさ、恋人ができたんだよね。女の子なんだけど」
アメリカ留学から帰ってきたばかりの彼女は、私にそう告げた。「へー!そうなんだ!」と実は内心、動揺した。
同性と恋愛をする人を身近で初めて見た。動揺したことを悟られまいと、なんとか明るい声で返事をした。
次に感じたのは好奇心だった。彼女はとある男性アイドルグループが好きで、私とコンサートに行ったこともあった。彼女は答えた。
「私、多分、男でも女でもどっちでも大丈夫なんだよね」

滅多に連絡を取らない弟からの電話。衝撃の告白が待っていた

私は女子大学に通っていて、学内でも同性カップルがいるらしいという噂は耳にしていたが、実際に見たことはなかった。女子同士で手を繋ぐことなんてこれといって珍しくはないし、人前で恥じらいもなくキスするような人もいなかった。あの時感じた衝撃は、少しずつ薄れていった。

それから何年も経った後、残業続きでヘトヘトのところに弟から連絡がきた。
「今日電話してもいい?」
滅多に連絡を取らない弟が、電話したいなんて!何かあったに違いなかった。
「自殺しようとした。けど、ダメだった」
弟は泣いていて、弱々しい声で私に助けを求めているようだった。理由を尋ねると「もう未来に希望が見えない」とか「生きているのが辛い、死んだほうが楽だ」と答えた。
そして最後に、自分はゲイだと告げた。それも、2次元にしか恋愛感情を持てないという。あの日以来の衝撃だった。

まさか弟が!と思った。弟は小学生の時から高校に入るまで長く仲良くしていた女の子がいて、周りはカップルだと思っていた。と同時に、腑に落ちる点がひとつだけあった。
中学生だったある日、妹が迫るように私のところへ来て、パソコンの履歴にBLの内容のものがあり私に見たのかと聞いた。残念ながら、私は違うと答えた。
弟、妹、私の3人兄弟だったので、私と妹は母を疑った。しかしあれは、弟の仕業だったのだ!そんな思い出が、弟からの告白を聞いて蘇っていた。

愛の形は人それぞれ。どんな愛であれ、もう驚くことはないだろう

自分がゲイだと言う弟に、「ふーん、そうなんだ」と驚いた様子を見せないよう自然に返した。話をしていくうちに、弟はなんとか落ち着きを取り戻した。
電話を切るや否や、母に連絡し、全てを打ち明け、心配した母が翌日に弟の下宿先に向かうことになった。

私にできることをやり終えて、一息ついて、愛とは何かを考えた。
愛は人を幸せにもするし、不幸にもする。人生を豊かにもするし、弟のように人生を終えるよう仕向けることもある。失恋するたびに感じてきた心の中の喪失感の正体は愛なのだろうか。恋愛については分からないが、私は母の愛情なら感じていると思った。
弟の話を聞いて、すぐに駆けつけると言った母。バレンタインに私の分まで買って送ってくれる母。私が猫好きだからと、近所の野良猫を見つけては写真や動画を送ってくれる母。

最近はもう、愛の形は人それぞれだと感じるようになったし、どんな愛であれ、もう驚くことはないだろう。最近知り合った「女の子になりたい」男の彼は、「女装してる時が幸せ~」と声高々に、そして本当に幸せそうに話してくれた。次の休みに一緒にショッピングに行くことになっている。
色んな愛を見て視野が広くなった私のように、弟も、はやく気づいてほしいと願うばかりだ。