私の役割は「勉強ができて、都合のいい生徒」。従うしかなかった

私は自分のことが嫌いだった。元々頑固で泣き虫、自己中心的で、次第に自身に嫌気が差したのだ。
同時に、周囲に心から信頼できる人がいなかった。友人がいなかった訳ではない。しかし、相手は私のことをどう思っているのか、ずっと勘繰っていた。

勉強の成績が良かったせいか、小中学校では「勉強教えて」「宿題見せて」とクラスメイトが寄ってくることがあった。その反面、運動が苦手だった私は体育で煙たがられる存在だった。その頃から学業成績と生活態度の良さを武器に、周囲を振り回すようになったと思う。
進学校と呼ばれる高校に進学したが、初めてのクラスには良い思い出はない。
唯一鮮明に覚えているのは、「暇そうだから文化祭のクラス代表やって」と言われたこと。私は都合の良い存在だったのだろう。

学校生活のコミュニティにおける私の役割は「勉強ができて、誰にとっても都合のいい生徒」。そう感じ、従うしかなかった。そのレールを辿る中できつい性格になった私に好意を持ってくれた人はいただろうか。

私のダメなところも認めつつ、好きだと言ってくれる友達との出会い

高校を卒業し、大学に進学した。入学して数日経たないうちに5人の学生と行動することが多くなった。
人懐っこい関西人のA。黙っていれば可愛い女の子のM。何かと放っておけないC。ふわふわ癒し系N。皆のママ的存在H。私を含めた6人で授業を受けたり、休日は遊んだりしていた。5人と過ごす時間は楽しく、私と仲良くしてくれて嬉しかった。

しかし、私のきつい性格が直った訳ではない。皆に対して失礼な態度をとってしまったことが多かった。自分を優先して、遊ぶ予定を断る回数が皆の中で圧倒的に多かった。
私自身甘えられない性格で、甘えられると「嫌だな」と思ってしまった。皆で日常生活の悩みや愚痴を話している時も、私は自分の悩みを閉じ込めたままだった。高校時代までの「役割」を引きずっていたのだ。

大学2年生の時、約半年間の留学が決まった。5人には事後報告だった。皆はびっくりしていたが、応援してくれた。
留学前、AとMがプレゼントと手紙をくれた。プレゼントは可愛いぬいぐるみ。手紙を読むと、2人の個性全開で少し笑ってしまった。そんな中、Aの言葉に目が留まった。
「継実はズケズケ物を言うから少しかわいくない。でも、そこがまた大好き」
思わず涙がこぼれた。
今まで否定的なことを言われると、負の感情しか生まれなかった。しかし、Aは私のダメなところを認めつつ、そんな私を好きだと言ってくれたのだ。

新しい目標のため、1年の留学へ。皆と一緒に卒業できないと覚悟した

留学が終わり3年生となった。帰国後は5人と遊ぶ機会を増やした。6人全員で遊ぶこともあれば、個別にご飯に行ったりもした。この1年間が大学生活で一番楽しかったと言える。

4年生。私は新たな目標ができ、また留学することにした。しかも約1年間。この時も事後報告だったが、「継実らしいね」といった雰囲気だった。
4年生で1年間の留学をすると、皆と一緒に卒業できない。それを覚悟し、思い出を胸に日本を発った。

月日が過ぎ、卒業式当日。日本の朝一番、留学先の真夜中にグループLINEへ「卒業おめでとう」とメッセージを送った。皆はメッセージと楽しそうな写真を送ってくれた。良い友人ができたな、と心の底から思った。
それと同時に、皆と卒業できないことが悲しかった。真夜中にLINEを見つめ、静かに泣きながら眠りについた。

手作りアルバムに込められたメッセージに、たくさんの愛を感じた

数日後、5人の友人たちが留学先へ手作りの思い出アルバムを送ってくれた。中には皆と過ごした写真と、私へのメッセージが。
「初海外は継実と行きたい」「一緒にいてくれて心強かった」「継実ならどこでもやっていける」「大好き」「ありがとう」
涙が出ない訳が無い。こんなにも私に愛を与えてくれていたと思ってなかったから。皆のおかげで私の尖った性格は人並みに丸くなったと思う。

あれから数年、皆それぞれの場所で生活している。何度か会ったり、連絡をとったりしていたが、全員が揃ったことはまだない。コロナの影響もあり、叶うのはしばらく先になるだろう。
早く皆に会いたい。遊んで、ご飯を食べて、笑って語り合いたい。そして今までなかなか言えなかった「ありがとう」と「大好き」を伝えたい。