転校が多かった私はいつも「よそ者」。思い出すのは嫌なことばかり

小学校時代、私は冗談みたいにいじめられっ子だった。
私の親は転勤が多かった。そのため私は小学校を何回も転校した。その中であらゆる友達ができたのだが、毎回その友達たちから裏切られ、いじめられていた。
私は学校のなかで常によそ者だった。幼稚園のころ、もしくはもっと前から仲のいい関係性に割って入ってきた闖入者。それが私だった。

どの同級生もよそ者の私と友達にはなってくれるのだが、結局私は彼女たちにとって邪魔者でしかなかった。友達になってある程度時間がたつと、私を仲間から外した。彼女たちの「本当の友達」には、いつもなれなかった。

気が付いたら私の上履きは捨てられていたし、いろんな人にわざとぶつかられたし、挙句の果てに別の子がされていたいじめの首謀者は私だと、先生に告げ口されていた。
先生に嘘ですと反論したが、団結した同級生の数の暴力にひとりぼっちの私は負けてしまった。授業は自習になり、私は先生に廊下に呼び出され、本来はクラスのみんなが受けなければいけないはずの怒鳴り声をひとりぼっちで受けた。
終わった時には泣きすぎてまばたきのたびに目が痛くて、尋常じゃない手のしびれと頭痛がいつまでもとれなかった。その様子をみて同級生たちは私をクスクスと笑っていた。

本当の友達なんてまがいものだと、思い込まないといけなかった

ひとりぼっちになった私を助けてくれる人は、どの小学校にもいなかった。友達だったはずの子たちにたくさんの悪口を言われ、仲間外れにされた。私の味方なんて家族以外どこにもいなかった。
このころの私は、「本当の友達」など全部まがいものだと思い込んでいた。都合がいいときは一緒にいて、飽きたら適当に切り捨てる。これが友達の正体だと考えていた。

正確に言うと、人をいじめていて私よりも性格が悪いはずの同級生たちが、私が最も欲しがっている「本当の友達」を作ることができているという状況を直視できなかったのだと思う。
当時の私は、とてもじゃないけど周りの人間が許せなかった。だから自分が人生の中で手に入れることができていない「本当の友達」を、風が吹けば飛んでいくような軽いものだと思い込まないといけなかった。

住む世界が違う彼女と、本当の友達にはなれないと思っていた

屈折した小学生だった私を変えたのは、中学生の時に初めてできた「本当の友達」だった。
入学式の日、出席番号でたまたま隣の席だった彼女は、式で入学生総代として答辞を読んでいた。

あ、隣の子、答辞読んでいた子だと気が付いたが、話しかける勇気は全く出なかった。私が話しかけたところできっと迷惑だろうと考えたからだ。
彼女はきっと、私とは違う。答辞を頼まれるくらい優等生で、出来が良くて、「本当の友達」がたくさんいて、私は話しかけられる余地がない。
だけど、彼女は私に笑顔で話しかけてきた。「本当の友達」なんていない私に、屈託のない笑顔で。

本気なのかと疑った。私なんかと仲良くなる気なのか。あなたと私は住む世界が違いすぎる。だからきっとこの会話は無駄になる。あなたとは「本当の友達」になんか、なれやしない。

だけど彼女は私に1回だけではなく、ずっと話しかけてくれた。にこやかに、楽しげに。気が付いたら私も、なんだか彼女と話していると嬉しくなっていた。
いつのまにか笑顔になっていた。初めて学校に通うことが楽しいと思えるようになった。
そうか、彼女となら「本当の友達」になれるのかもしれない。都合のいいときだけ仲良しごっこをして、適当なタイミングで手を払いのける。そんな友達関係には彼女とであれば、ならないかもしれないという予感がした。

屈折していた私にできた「本当の友達」。あなたのおかげで変われたよ

予感は的中する。その後、私は彼女とクラスが離れた状態でもずっと仲良しだった。2人ともそれぞれで忙しい部活に入っていたが、2カ月くらい前から予定を組んで、なんとか日程を合わせて遊びにいった。
あんなに屈折していた私に、「本当の友達」ができたのだ。つらいときは励ましあい、楽しかったことはたくさん共有した。最近考えていること、悩みごと、他人のはずの私たちはお互いを信用してなんでも話せる仲になった。

私はあなたのおかげで、友達のことをいつか裏切るかもしれない存在として認識しなくなった。そして生まれて初めての「本当の友達」になってくれた。あれだけ屈折した私が変われたのは絶対に、あなたがあの時笑顔で話かけてくれたからだ。
この文章をあなたが読んでいるかはわからないけど、あらたまってここで感謝したいと思う。
ありがとう。あなたのおかげで、私は変われたよ。