兄のことが好きだった。その一心で、兄が興味を示したものには手を出してきた。
音楽、ゲーム、漫画、アウトドア。兄が得意だった数学を私も得意になりたくて、他の科目より優先して勉強した。兄がどんな気持ちで勉強しているのか知りたかった。

穏やかで真面目な兄。声を荒げたところを見たことがない

兄は私の2個上。穏やかで真面目な人だ。
声を荒げたところを一度も見たことがないし、コツコツと目の前の物事に取り組む姿が真っ先に浮かぶ。困っていれば、同じ目線に立ち答えを導きだそうとしてくれる。そんな兄だから、周りの友達もみんな慕っていたように思う。

私が小学1年生の時、兄はあるバンドにハマった。
BUMP OF CHICKEN。天体観測にどハマりし、以来兄はBUMPが出ている雑誌や番組をチェックするようになった。
兄が中学に進学するまで、私たちは同じ部屋で勉強をしたり遊んだりした。あるクリスマスの日には、サンタに会うために敢えて昼寝をして夜を待った(結局日を跨ぐ前に寝てしまったが)。幼稚園時代には、2人きりでバスを乗り継ぎ母の実家まで行ったこともあった。私が高校受験期にスランプに陥ったときは、粘り強く私が理解するまで勉強を教えてくれた。

兄はラジオにはまっていた。BUMPがパーソナリティを務める番組があったからだ。
夜11時、決まった時間に始まるラジオ。兄はこっそり静かに、その一人の時間を満喫していたのだと思う。思春期でも構わず兄の部屋に立ち入っていた私は、兄がそれを聴いていることを知る。直接問いただすことはしなかったが、机上のメモに「叫べ」と書いてあったから間違いない。だから私も聴くようにした。

毎晩一曲だけと決めてBUMPを聴き、兄に会いたいと思った

私が高校2年の時、兄は大学生で地元を離れていた。その冬、東日本大震災が起きた。
私の街は壊滅的な被害を受けた。電気と水が半月程度使えなくなった。居間に家族が集まり、ロウソクと電池式のラジオを囲む。陽が落ちると、振子時計の音を聞きながら炬燵に雑魚寝する日が続いた。
当時はまだ若かったから、なんとかなると漠然と思っていた。反面、音のない生活がこんなにもつまらないものかとも思った。

携帯電話の充電もとうに尽きた。せめて好きな音楽を聴きたい。通学時に使っていたウォークマンに電源を入れてみる。幸いにもバッテリーは半分残っていた。
毎晩一曲だけと決めて、炬燵の中でBUMPを聴いた。だんだんと気持ちが落ち着き、思考もクリアになってきた。兄に会いたいとより思うようになった。そのうちに電気が復旧した。
部屋に篭り、いつものラジオ番組を点ける。BUMPのボーカルが弾き語りで歌を歌っていた。震災後、初めて泣いた。

目から鱗だった「優しさは気付き」という答え。メモに書き殴った

それから、他のラジオ番組も聴くようになった。バラエティ、情報番組、ローカル番組。仕事中の営業車内で、家事や本を読んでいる時にも。ラジオは生活の一部になっていた。
深夜のバラエティを何気なく点けると、自然と笑ってしまう私がいた。好きなアーティストの番組で好きな楽曲が流れたり、知らなかったエピソードを聴けると、ちょっとした秘密を垣間見た気分になり高揚した。遠くに住む友達と同じ番組を聴いていると、距離なんてないんだと本気で思った。
ある番組内で、優しさとは何かを授業で小学生に尋ねたエピソードを紹介していた。聴きながら、許すこと、受け入れること?などと考えていたら、ある男児が「優しさとは気付き」と言っていた。目から鱗とはこういうことかと、すぐにスマホのメモにその言葉を書き殴ったこともあった。

兄に会えない年数が日に日に長くなり、話したいことだけが山のように積もっていく。
先日、もうすぐ結婚すると兄に連絡を入れてみた。普段は既読スルー常習犯なのに、「おめでとう」と返信をくれた。その後、母にも私のことを気にかけて連絡をしてくれたらしい。
兄の優しさは変わらずにあって、私は勝手に嬉しくなった。そして、もっと気付ける人でありたいと思った。