ずっと捨てられないもの、それは同じ小・中学校の同級生だった友人が21年前にくれたキャラクターのティッシュである。

ティッシュを見るたびに彼女に会いたい欲望に駆られる

私は7歳の頃からサンリオのあるキャラクターを推していた。
そのキャラクターのティッシュをさりげなく持っていた、特別仲がいいわけではなかった一人の友人。彼女は持っているティッシュを1つプレゼントしてくれた。
もう15年も会っていないけど、中学生の時は大喧嘩もしたけれど、私にとって大切な友人の一人だ。そして今でも、そのティッシュを見るたびに彼女のことを思い出しては会いたいという欲望に駆られている。
境遇は違えど、ともに幼い頃から心に深い傷を負っているという共通点があるから、彼女のことを見守っていたいという方が近いかもしれない。

小学生の頃から、彼女は決して人を差別しない、心の優しい子だった。時々寝坊をする少し間抜けなところはあるけれど、顔見知りのお母さんにも挨拶してくれる、高学年になっても幼さの残るかわいらしい少女だった。
そんな彼女の人生に暗雲が立ちこめたのは、中学校に入学して一年が経とうとした頃のことであった。どうやら彼女は勉強が苦手らしい。それだけならまだいいが、彼女の家庭で思わしくない出来事が起こり始めているようであった。
彼女の母は10代で彼女を出産しているが、子育てよりも夜の遊びが楽しくなってしまったらしい。その道連れからか、彼女も部活をサボったり感情を爆発させたりと、心が乱れて行く様が嫌でも感じ取られた。

共通点が潜んでいるのに、犬猿の仲の彼女に悩みを打ち明けられない

中学校も最終学年となった15年前、私たちは久々に同じクラスになったが、これといった会話はなかった。
私は大半の生徒から避けられており、彼女も積極的に寄ってきてくれる訳ではない。唯一関わりがあるのはクラス単位で行う行事だけだったが、私は練習への参加を拒み続けた。こういう時にだけ誘われることに嫌気がさしていたからだ。
一方彼女はというと、行事への参加は積極的で、参加を拒む私の態度を非難し、時々衝突していた。

当時の私も彼女と同じく心を痛めた人であった。学校ではボロ雑巾のような扱いをされ、汚いと非難されるわりに片付けなどの面倒なことは押しつけられた。家庭では人を数字でしか判断しない両親の下に生まれ、愛されているという実感がわかなかった。だからか周囲との協調性がまるでなかった。

学校にも家庭にも居場所のない私は、他者からの愛情に飢えていた。彼女もまた、遊び優先の母から愛想を尽かされ、受験期にもかかわらずそっぽを向かれた状態だった。
学校に居場所はあるも母からそっぽを向かれた彼女と、友人もなく両親の過干渉に悩む私。対照的なようで良好な愛着形成ができなかったという共通点が私たちの中に潜んでいた。
けれども犬猿の仲である彼女に悩みを打ち明けることができない。私は寂しかった。

彼女にもらったティッシュを握りしめ、生きる希望だけは見失わない

卒業から7年ほどの月日が経った頃、私たちは同じ趣味を持った同級生を通して、SNSでファッションの話をした。私も彼女もロリータと夢かわ、病みかわ文化を愛していた。やはり置かれた状況が似ていると、同じ趣味に落ち着くのだなぁと思った。
元々心の優しい彼女は私を難なく受け入れ、今でも連絡を取り合っている。関東を離れて遠くに行ってしまったから今は会えないけれど、全ての友人の中で最も会いたいのは彼女だ。

仕事が上手くいかない時、両親との関係に悩んだ時、つい自分のことを傷つけてしまいがちな私であるが、そういう時は彼女にもらったティッシュを握りしめてせめて生きる希望だけは見失わないようにしている。
彼女が見守ってくれていること、そしていつか会えることを信じて、私は今を生きている。