私は約3年で脱サラし、その後、美容業界で自営業をしている。
この業界で仕事をさせていただいているからには、「女性らしさ」を大切にしているし、自分自身も好きだ。
何かを選ぶ際、ピンク色に惹かれている自分がいる。
それはやはり潜在意識で、「女性=ピンク」の方程式が成り立っているのだろう。
しかし、昔から女性らしさを大切にしてきた訳でもなく、ピンク色も好きではなかった。

恋に落ち、「女の子」を意識し、自然とピンクを選ぶようになった

小学生の頃、公園で木登りをし、全身真っ黒だった。
そんな女の子らしさとは対照的だったある日、ターニングポイントが訪れた。
それは小学5年生の頃、「初めてこんなにも好きになれた人」と出逢った。
こうみえて、毎年好きな子が変わる恋多き子ではあったが、特に「女の子」を意識した事は無かった。

その恋に落ちてから、不意に周囲が気になり、同級生を見てハッとした。
髪型はアイロンで整え、可愛い服を身にまとう「可愛い女の子」に成長していたのだ。
一方で私は、髪の毛は寝癖がついたまま、服は動きやすさ重視、と正反対だった。
その事に気づいてからは、意中の彼に「可愛い」と思われたく、髪の毛を整え、服も女の子らしく、ジャージの色でも「ピンク」を選ぶようになった。
そして年齢を重ねてメイクを覚え、「女の子」から「女性」へと変わり、大学生になった。

大学生時代にふと、「お手洗いの女性マークは、なんでピンクなんだろう」と思ったのと同時に、「女性だから当たり前か」と考えが浮かんだ。
その時、とてつもない罪悪感を覚えた。
昔から社会的マイノリティに関心があり、大学ではその事を学んでいた為、理解はあると思っていた。
しかし頭では「理解」していたとしても、「上辺」だけであり、「真に理解はしていない」と、ショックを受けた。

「正解」を意識してきたのに、周囲と考えが違うマイノリティになった

当時の私は「正解を言わなければ」と、常に他人を気にしていた為、「社会の正解とは違う自分の考え」が出てきた瞬間、「こんな意見、『理解がない人だ』と思われる」とビクビクしていた。
そんな性格のまま社会人になったが、周りを気にする性格は変わらなかった。
しかし、「脱サラ」が私を大きく変えた。

部署が変わり、色々変化し、初めは楽しく過ごしていたが、周囲との考え方の違いが顔を出し、最終的に「マイノリティ」になった。
とても辛かったが、仕事内容は好きだったのと、他部署の方からは、評価を頂いていた為、何とか過ごせた。
しかしある時、同部署の先輩から、「〇〇さんがやってる仕事は無意味だよ」と言われ、この言葉を聞いた瞬間、脳内で糸が「プツン」と音を出して切れた。
「違う部署の方からは評価を受けているのに、同部署では違うって、自分がおかしいのかな」と、負のスパイラル。
その瞬間、「辞めよう」と決意した。
そんなマイノリティな会社員時代を過ごし、大学生時代、「ピンク=女性」という自分の固定概念に嫌悪感を抱いたその考えが悪いのではなく、「受け入れない事」が悪いのだ、と気がついた。

自分の中の固定概念に焦ったり、気後れしたりする必要はない

今は、マイノリティの考えを受け入れる体制が以前よりは整っているのではないかと思う。
しかし、全ての人の固定概念を変えるのは難しい。
「社会はこうだから自分も変えなきゃ」
「固定概念を変える事が出来ない自分は時代遅れかな」
など、不安に思う方もいるだろう。
なぜなら私がそうだったから。

人の考えは「経験」が無い限り、本当の意味の変化はない、と私は思う。
人生は有限で、全員が考えを変える経験をするとは限らない。
しかし、その意識が育っていないから、と焦ったり、気後れする必要は全くない。
そのような気持ちがあるのであれば、「受け入れる心」は後から育つ物だと、経験者の意見として、ここに述べたい。