産まれたての赤ん坊は男女の区別がつきづらく、「水色なら男の子、ピンクなら女の子」といったように、身に付けている衣服の色で性区別をされることが多いように感じる。
産まれたときからそのように色区別をされているので、なんとなく成長してからもピンクは“かわいらしい幼子の色/女の子の色”という印象がずっとあった。

ピンクを持つことに気が引けていた私に、向き合うときがきた

華奢な少年体形にシュッとした目鼻立ちの私には、女の子らしい「ピンク」の色合いが自分の体型や顔つきに似合うとは到底思えなかった。
ピンクという色に受け入れられないような気さえしていた。ピンクは愛くるしい顔つきの可愛らしい女の子が身に付けるべき色だという思いが、どうしても拭えなかった。だからこそ、なんとなく「ピンク」という色味を身に付けることに、気が引けてしまっていた。
だけれども、ピンクという色は好きだったので、キーホルダーやお財布、ハンカチ等、一見目立たない部分にこっそりピンクを忍ばせて、「女の子」な思いをひそかに楽しんでいた。私はそんな女の子だった。

そんな私は不意に中学生の頃、腰を据えてピンクと向き合うことを決意することになる。
友人がある日、不意に「私は苦手なオレンジ色を克服するんだ!」と宣言した。そして、ありとあらゆるものを次々にオレンジ色に塗り替えていったのだ。
今も昔も大好きな人の影響を受けやすい私はまんまと影響を受け、私は苦手な色という意識があまりなかったこともあり、何色と向き合おうかなぁと悩んだ挙句に、「私はピンクをもっと好きになろう!」と決めてその運動に便乗した。

まずは差し色から始めようと選んだのは「ショッキングピンク」

まず、私はピンクをあらゆるところに差し色で入れてみることから始めた。
その時に使ったピンクは「ショッキングピンク」。強い色彩から甘い印象が弱まると思ったことと、当時、名探偵コナンの犯人役ばりに、頭の先からつま先まで黒装束だった私は、ショッキングピンクなら手持ちのものと合わせやすいと思ったからだ。

まず手始めにピンクのスニーカーを購入した。赤い靴の童話が怖くて、色物の靴が買えなかった私にしては思い切った買い物だった。
私はとても気に入っていたが、母や遠方に住む祖父にはとても嫌がられた。あまりに反対されるので、外に履いて出かけることはなかなか叶わなかった。見てはやはりピンク好きだなと酔いしれて、ピンク好きを深めていった。

次に、ピンクのバックを買った。ピンクの靴やバックを際立たせるため洋服はより真っ黒になっていったので、靴を脱いだり、バックを手放した途端に真っ黒になってしまった。手放さなくてもよいものと考えた結果、ピンクのカラータイツを履いて原宿の竹下通りに繰り出したりもした。

このときを境に、ピンクは差し色として何の抵抗もなく身に付けられるものに変わった。カラータイツさえ履いてしまえれば、怖いものなど何もなかった。
この時期は自分でもかなりファンキーな格好をしていたと思うが、心優しい友人たちは触れずに仲良くしてくれていた。この時には、ことの発端となった友人はオレンジ克服運動をとうにやめていた。

恋をしたかのように好きになり、人生を変えた「オペラ・モーヴ」

さすがに思春期を過ぎれば、私もカラータイツやカラースニーカーを履くことに気恥ずかしさが伴ってくる。次に私の人生を変えたピンクが、「オペラ・モーヴ」という少し大人な色味のピンクだ。
これは、大学生の頃、予定帳を買いに行ったときにビビッと来て、それはもう恋をしたかのように好きになる予感だった。

なんという色なのか知らないと、再度あの色に会えないかもしれないという焦燥感から、「主婦の友社」から出版されている「色の名前」という色辞典が本棚に眠っていたのをひきずりだしてきて、ページをぺらぺらと手繰った。
12ページから34ページまで渡るあらゆるピンクの説明は私には刺激的で、「これもピンクと識別されるのか!」と新鮮な気持ちがしたものだ。その中からあの予定帳に最も近しいピンクを目を皿のようにして探した。

ピンクは「女の子の色」から「思い入れのある色」に変わった

だけれども、「オペラ・モーヴ」という色ネームはなじみが薄いので、私は「大人ピンク」「青みがかったピンク」と呼ぶようにしている。
「好きな色は?」と問われたときにそう答えると、みんなきょとんとした顔をするので、説明を繰り返すうちに今ではとても色彩にこだわりのある人のような印象を与えがちになってしまっているが、私はピンクにこだわりがあるだけなのである。

ピンクと真剣に向きあった結果、ピンクがとてつもなく好きになってしまったことを感じた。ピンクは「女の子の色」ではなく、私の中で「思い入れのある色」に変わった。ピンクと共に半生を歩んだかのような思い入れである。
10代の頃はとっつきにくかったピンクに対して試行錯誤を繰り返し、20代も終わりを迎えるようになった今、ピンクは私の個性のひとつになっている。