「親ガチャ」という言葉を借りるのなら、私は大失敗だと思う

どれだけ憎くても、腹の底では嫌いにならないと決めた。
「親ガチャ」という言葉を最近よく耳にする。マジで失敗だわ。うちの親クソなの。そんな言葉を添えて笑っている。
その言葉を借りるのなら、私の親ガチャは大失敗なのだと思う。ただ、私はそれを笑って言えそうにない。その理由は過去のエッセイで幾度も触れてきたことでもある。語り尽くせない鬱憤が首を絞めているようだった。

私を無視する、ニキビ顔の私を「ブツブツ」と呼ぶ、夫婦喧嘩に巻き込む、LINEで長い脅迫文が送られてくる、何かにつけて誓約書を書かせる、殴る蹴る……等。
思い出すのも、文字に起こすのも、もう面倒で苦痛だった。
「かわいそう」と、相談した友人が言ってくれる。
「ひどいね」と、怒ってくれる。
でも、それでも、私は今日も明日も明後日もそんな現実と戦わなくてはならない。誰かに話したからといって報われるわけでもなく、助けてもらえるわけでもない。
私は友人に話を聞いて欲しかっただけなので、そんなことは求めていないが、じゃあ今の私が救われる方法は何なのだろうと思う。

母に「死ね」と言われたとき、私の愛は粉々に砕け散った

生まれた環境が異なれば、私にはきっと別の幸せがあった。
もし、私の両親が友人らのような両親だったのなら。
いつか、本当のお父さんとお母さんが迎えに来てくれる。
そう思う時はあっても今までずっと、本当にずっと、両親を大切に思っていた。恐怖の対象だったけれど、無条件に愛し続けていた。
たかが十数年、されど十数年積み重ねた。
しかし、母に「死ね」と言われたとき、「嫌い」と言われたとき、粉々に砕け散った。
私ははじめて両親を一生許さないと誓った。当時16歳だった。

それまでは両親の不満をこぼしながらも、両親を罵倒するような言葉は決して吐かなかった。怒ってくれる友人にも複雑な感情を抱いたりした。
だって、愛していたから。いつかきっと同じだけの熱量の愛を受け取れるものだと信じていたから。
けれど、それはただの願望で、叶うことのない夢なのだと悟った。
悟ったのに。
頭でわかっていても心が追い付いていなかった。誕生日やバレンタインにプレゼントを渡すし、文句も反抗もしない、良い娘で在ろうとしてしまった。

私は私のために、両親を嫌いにならないでいようと決めた

バカなの?と、ふと我に返って思う。
悲しい気持ちを忘れてしまったのと、自分の行いを自分が責める。
一生恨み続けることが、嘆き悲しむことが、私の幸せではない。とはいえ、両親を許すこともできない。
どうしようもなく矛盾していた。
それがあまりに苦しくて何度も泣いた。だから考えて、考え抜いて、私はようやく答えを出した。

私は私のために、両親を嫌いにならないでいようということ。
両親を心から好いていたあの頃の自分を否定してはならない。幼少期の私の想いは無駄などではなく、大人になるために必要だった痛みなのだから。そう思うことでやっと前を向ける。
両親に愛される可能性がある自分を演じ続けながら慰めていく。
両親がこの世からいなくなるまで、この間抜けなエンターテイメントを繰り広げてやろうと思う。悪夢を見たら夢で良かったと胸をなでおろして安心する時と同じように、両親に愛されなくてもこれが茶番劇なのだと思えれば痛みも和らぐものだ。
そんな私をどうかみじめだと思わないで欲しい。
私は現在、幸せからも不幸からも遠い場所にいる。