日常がなくなってしまったことを、疲れがたまった頭で感じた朝
『今日も元気に、いってらっしゃい!』
私の朝は、「めざましテレビ」のこの一言で始まっていた。
朝シャンして、メイクをして、一足先に家を出る夫を玄関先で見送る。静かになったリビングに、アナウンサーさんの元気な『今日も元気に、いってらっしゃい!』の声が聞こえたら、テレビを消して、私も会社へと出社する。当たり前にやってくる朝。
いつからか、「めざましテレビ」の『今日も元気に、いってらっしゃい!』は『今日も良い一日をお過ごし下さい』に変わった。コロナ禍での緊急事態宣言で、不要不急の外出の制限が叫ばれるようになった頃からだと思う。
夫はほとんどが在宅勤務になり、それに比例するように、小売業の私は、感染の恐怖から退職者が続出したシフトの穴を埋めるために早出、残業の毎日に変わった。
「疲れてるね、今日は少しでも早く帰って来れないの?」と心配そうな顔で玄関まで見送りに来てくれた夫の向こうから『今日も元気に、いってらっしゃい!』が聞こえなくなっていることに気づいたあの日、「あぁ、本当に日常は無くなってしまったんだな」と、疲労が蓄積した頭で思ったことを、昨日のことのように覚えている。
『今日の東京のコロナ感染者数の速報』が出る度、大規模イベントの中止報道が出る度、特定の業種に時短要請が出る度、その報道を目にした私たちの誰もが、少なからず暗い気持ちを抱いたんじゃないだろうか。楽しく嬉しい気持ちになった人は、少ないと思う。
コロナの報道を見なくなり、心への「負の影響」に気づいた
切迫感が募るような暗いニュースに気が滅入っても、仕事のために、社会情勢についてある程度の情報は把握しておかなければならない。だから、目を背けられない。逃げたくても逃げられない。
ナイフでずぶりと刺されたわけじゃないけれど、どこでぶつけたか分からない小さな青アザが毎日増えていくような日々。夫がコロナに感染したのはそんな時だった。
私も濃厚接触者として出社停止になったことから、コロナについての報道をその期間は目にしなくてもよくなった。そうなってからやっと、テレビやネットの報道から、いかに自分の心が負の影響を受けていたかということに気が付いたのだ。
テレビやネット等から目にする報道との距離感、これはとても難しい問題だと思う。
私の場合、当時の仕事は、社会情勢にあわせて扱っている商品の売れ筋が変動するという事情から、仕事を続けている限りは報道と距離を置くことは出来なかった。
毎日洪水のように情報を浴び続けていたことから感覚が麻痺し、自分の心が弱っていっていることにも気付いていなかった。良くも悪くも、出社停止になったことで初めて報道を遮断することが出来たが、あの頃の私みたいに、疲れた心に塩を擦り込むように、辛い報道や情報に晒され続けている人はたくさんいるんじゃないだろうか。
たとえ必要な情報でも意図的に離れることで、心と身体を守る
この経験から、様々な報道を目にする時、私は自分の心や身体を過信しすぎないよう気をつけるようになった。理由はなくてもちょっと気持ちがしんどい時、自分にとって嫌なことがあった時、マイナスな方に引っ張られてしまいそうな報道からは、意図的に離れるようにしている。それがたとえ仕事に必要な情報だったとしてもだ。
私は自分自身のことを、心が強く、メンタルヘルスとは無縁の人間だと思っていた。確かにあの頃、メンタルブレイクは辛うじて避けられはしたが、頑張りすぎた身体はストレスから逆流性食道炎を患ってしまい、それは今でも治っていない。
そして何よりも、仕事の代わりはなんとでもなるが、自分の代わりはどうにもならないということを身をもって知ったからだ。
いつかまた『今日も元気に、いってらっしゃい!』がテレビから聞こえるようになる日が来るかもしれない。その日を迎えるまで、自分の心と身体に正直に向き合って生きていたいと願いながら、私は今日も会社へと向かうのだ。