「それって、あなたの感想ですよね」
これは、「2ちゃんねる」の開設者であり、「ニコニコ動画」の元取締役管理人でもある西村博之さんが2015年に放送されたテレビ番組で発言した言葉であり、通称"ひろゆき"の名言の1つである。
私は、初めてこの言葉を聞いた時、自分の中に花火が打ち上がるような興奮と快感を感じた。
私は、この言葉に救われた人間の1人だ。
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もしも、この言葉を子供だった自分に持たせることができたなら、どれだけ良かっただろう。
両親や教員、子供時代に関わったあらゆる大人から無自覚に発せられた、止まることを知らない棘のある言葉に、私は出口を見つけることができ、武器を持つことができたのかもしれない。
言葉を発した側は記憶にもないのだろうが、私はその時の場面の状況や言葉の一言一句を間違えることなく、頭で正確に再生することができる。
もしも、私のように苦しんでいる子供たちがいるのなら、大きな声で"ひろゆき"のこの言葉を送りたい。
言葉によって嫌な気持ちになった時、それはその人だけの感想にすぎないのだ、ということを頭で何度も唱えてみて、と叫びたい。
親だから、という理由だけで全てを受け入れて尊敬しなければいけないという義務もなければ、教員だから、という理由だけで主従関係を強制される状況に違和感を持ってはいけない決まりもない。
この言葉をもっと早くに知っていたのなら、もっと早く楽になれた気がしてならない。
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だが、友達は言う。
「ひろゆき?あぁ、俺あんま好きじゃないわ(笑)。揚げ足取りっていうか論破って無理(笑)」
私も特別に"ひろゆき信者"というわけではない。だから友達の言う意見にも理解はできる。
確かに"ひろゆき"の動画の中には、極端にも感じ取られてしまう意見を見かけることもある。だが、このように答える人たちは"ひろゆき"に何を期待し、何を求めているのだろう、と疑問にも思う。日本国憲法が言う表現の自由とは、なんなのだろう。
人は、絶対的な存在や完璧な存在を求めてしまう弱い生き物なのかもしれない。自分の弱さを埋めるべく、常に何かにすがっていたい生き物なのかもしれない。
そんな本能が故に動画を見る人たちは"ひろゆき"の期待値を勝手に上げ、勝手に落胆しているだけなのだろうと思う。"ひろゆき"の頭の良さや才能を認めているからこそ、「間違ったことはしてくれるな」という気持ちが湧き、自分に不都合であったり自分の中の正義とは異なる意見を発した場合に反発したくなるのかもしれない。
世の中が多様性を認めよう、とLGBTQIA+や障害を持つ人たち等への理解を叫ぶ昨今。
しかし、対象が身近な存在や自分と異なる考えを持つ人間、となると否定や攻撃をしたくなる感情を持つ人が多いのも現実だ。
そうした人たちがLGBTQIA+などに対しては否定の気持ちを持たないのだとしたら、このような人たちを少数派のグループと認識し、可哀想だと思い、弱者だと見下しているからなのではないか。だからこそ、日常レベルでの家族や職場の人間に対する意見の違いは受け入れることが出来ないのかもしれない。
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「それって、あなたの感想ですよね」
理不尽な場面に遭遇する度に、心の中で何度も唱える私を救うこの呪文。この言葉は私の感情を乱す人間に放つ、口にはできない必殺技だ。
そして良い意味で、人生は所詮その程度のものなのだ、と開き直ることができる言葉。
他人からの、ただの、感想。
それと同時に、物事の全てに対し自分自身が持ってしまう感情も良くも悪くも、ただの私だけの感想でしかないと気づく。喜びも怒りも哀しみも快楽も全て自らで作り出している感情の感想。これまでに生きた時間の積み重ねが作る癖の塊。
自分の感情ですら、ただの日々の積み重ねが作り出した感想なのだ、と割り切ることができたら人からの言葉に振り回されることなく、人生をもっとイージーモードに変えることができるのかもしれない。
とにかく私は、今日もこの言葉を静かに忍ばせ、ストレス社会を闘う。