すごく、忙しい人だった。本業のほかに副業もまあまあな時間を割いてやっていた人だった。あの人の中で「わたし」の優先順位が下がっていた。ただ、それだけだった。
と、思いたかった。
◎ ◎
付き合って5カ月たったころ、私は、主に知的障がいの方が泊まるショートステイへと異動を命じられた。
日曜+平日どこか休みの夜勤のない仕事から、完全シフト制夜勤ありの仕事へ変わるから、きっと彼との予定も合いにくくなるだろう、そう考えて、異動が決まってすぐに彼に電話した。
そこで突き付けられたのは、知的障がいのある人に対する見方の大きな相違に始まり、いろんなことの価値観の違いだった。仕事に対しても、社会の仕組みに関しても。
彼の出す問いに、うまく答えられなかった。
「素直に必要とされている場所があるなら頑張りたいって、それって組織にいいように使われているだけじゃないのか?」
そんなことない、と言いたかった。でもそういう見方だってあるのも分かった。どう伝えたら伝わるのか分からなくて、胸が苦しくなった。いつもなら心が温かくなるはずの電話が、とてもとても重苦しいものになっていた。
切ったとたん、今までに吐いたことのないぐらい重たい空気を吐き出していた。福祉の仕事をしているいち人間としても、でかすぎる問いを与えられたようで、それに答えられない自分が悔しかった。
でも彼だって、私にしか言わない生の意見を伝えてくれている、そのことはうれしいこととして受け取りたい気持ちもあった。気持ちがぐちゃぐちゃで、身体の力が抜けたようだった。
◎ ◎
そこから次のデートの予定を立てようにも、彼も3月は年度末で鬼のように忙しく、私の休みの日を提示しても全部だめだった。その間、LINEでやり取りしていたけれど、電話は一回もすることがなかった。
思えばこの時から、私の中で、彼との関係に対して迷いが出ていたのかもしれない。
やっと決まった次のデート、4月に入ってすぐだった。口コミで評判なお好み焼き屋さん。「会ってない間、どうだったの?」聞かれて仕事の話をした。つい熱が入って、職場の人たちがすごく良い人たちばっかりなこと、泊まってくる人たちもある意味で面白い人たちであることを語っていた。
でも、彼の顔はあまり柔らかくなっていなかった気がした。どうしてその仕事をしているのか彼が聞いたとたん、言葉に詰まった。その時、
「おまたせしました~。豚玉とミックス焼きで~す!」
ふいに店員さんの元気な声と、湯気を立てたお好み焼きが登場した。
「うわ~おいしそ~」
思わず気を引かれた。
そのまま私たちは食べ進め、結局その問いに答えることはなかった。
昼前に集合し、解散したのは15時前。
「桜、咲いているとこあるかな?」なんて、すごく遠回しに尋ねても、何も起きなかった。
いや、今考えたら、起きるわけがなかった。
◎ ◎
相変わらずLINEだけのやり取り。5月のシフトが出て、連絡する。空いていると連絡があったのは末日の一日間だけだった。
それも一週間前に仕事になったと言われ、キャンセルに。彼も5月から仕事ががらりと変わり、より忙しくなっているのは分かっていた。ただ、待っていた。
5月31日、6月のシフトをすでに伝えていた私に、「7日は夜も空いている?」と聞いてくれた。「空いているよ~」と返す。
やっと会える日が決まる!そう思って待っていた。でも、4日間、既読すらつかなかった。
さすがにしびれを切らした私はもう一度送ってみる。なしのつぶてだった。電話にも出なかった。
ついに7日がやってきた。心の中が無になり、ずいぶん前に家に忘れていったものを郵便で送り返した。何かしらの反応があるだろうと期待するも、何も起きなかった。
Google先生に「彼氏 未読」とついに聞いた。すると、LINEがブロックされているかどうか確認するために、ある方法が出てきた。スタンプや着せ替えをプレゼントするのだ。
どうかそうじゃありませんようにと、ドキドキしながら、祈りながら試した。
「○○さんはこの着せ替えを持っているためプレゼントできません」
息をのんだ。別のもので試してみる
「○○さんはこの着せ替えを持っているためプレゼントできません」
うそだ、そう思ってもう一度、めちゃくちゃかわいくて自分じゃ手に入れそうもないものを送ってみる。
「○○さんはこの着せ替えを持っているためプレゼントできません」
◎ ◎
LINEの未読の理由が分かってしまった。
「まじか……」
思わず口に出す。
どうしてこんなことが起きたのか。もう同じ苦しい思いをしないために考えてみると、結局は自分の大切にしたいものや、やってほしかったことを伝えずに、相手の大切にしているものも聞かずに日々をやりすごしていたからだったんじゃないかという答えに行きついた。
自分の大切にしたいものも、してほしかったことも、後から分かった。
異動を伝えられた時に、ただ応援してほしかっただけだったんだと。それだけなのに。それすら伝えられなかった。
私の面白い師匠が言っていた。
「大切な人を大切にするとは、その人の大切にしているもの・ことを大切にすることだ」
本当に、最後の最後までこれをしていなかったんだ。
だから、宣言する。
次にパートナーシップを結ぶときは、互いの「大切なもの」を分かち合うんだ、って。