私のおばあちゃんは現在91歳。病気もなく、ぼけてもなく、1人で散歩にも出かける健康なおばあちゃんだ。この健康さもすごいのだが、何が最もすごいかというと、感覚の若さだ。
念のため伝えておくが、健康で感覚が若いからといって林家パー子のようなフォルムをしているわけではない。いたって普通のおばあちゃんだ。他の91歳と違う点は、背筋がシャキッとまっすぐであることくらいだ。

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テレビやインターネット上ではジェネレーションギャップの話をよく聞く。特に政治関連やジェンダーのことになると、お年寄りと若者の考え方の差が歴然としており、埋まる様子のない溝として諦めかけられている。

ただ、これは完全な私個人の意見だが、お年寄り世代の混乱は至極当然のことだと思う。
戦争、復興、経済成長をするうえで役割分担を徹底し、集団として頑張ってきた世代にとっては、個人の自由が尊重される現代を理解することは簡単ではない。理解しようとしても移り変わりが激しいため、理解しようとすることも疲れる。もはや日本にいながらワカモノという新人種に領地を占領され、異国化したような気分であろう。
加えて、そのワカモノたちが何に夢中になっているかというと、手のひらサイズの四角い箱だ。皆が無表情・無口にそれをずっといじっているのだから、なおさら何考えているのかわかりゃあしない。

分かり合えないイメージのあるお年寄りだが、私のおばあちゃんに関しては、話をしていても昔の考え方だと違和感を持ったことがない。
彼氏の有無や結婚について聞かれたことは一度もない。こうしなさい、こうするべきだという意見ももらったことがない。部活に入れば楽しいか聞き、大学へ入学すれば楽しいか聞き、社会人になれば楽しいか聞く。楽しいよ!と応えると、よかったね~、さすがだね~、とお決まりの返答がくる。
つまり、何をしようがどのステップにいようが、気にするポイントは楽しいかどうかの一択なのだ。

だから私が東南アジアにバックパッカーしに行ってきた話や、留学の土産話をしても、にこにこしながら聞いている。危なっかしいエピソードを話してもあまりに何も言われないので、仏陀さながら悟りでも開いて私の話している内容を昇華させているのかと思ったほどだ。しかし、どうやらきちんと聞いていたようだ。

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ある日、私はおばあちゃんの家でごろごろしながら、社会人になってから積み立てNISAを始めた話をしていた。銀行に預けているより良さそうだということを母親と話していた。
さすがにこの話は、おばあちゃんにはわからないだろうなあと、そうそうに切り上げてお昼のワイドショーを一緒に見ながらあーだこーだ言いながら楽しんでいた。

そこから2か月ほどたち、おばあちゃん宅に遊びに行って帰ってきた母親が「おばあちゃんが積み立てNISAのこと覚えていたよ」と衝撃的なことを言った。
まさか、そんなことあるはずはない!と思ったが、テレビで積み立てNISAの話をしているのを見たらしく、自分の孫が話していた投資はどうやらこれらしいと思い、メモしたそうだ。私が積み立てNISAの話をしていたとき、投資だなんて大丈夫かしらと不安はあったそうなのだが、テレビで学んだところ大丈夫なものだとわかり、安心したらしい。
見せてもらったメモには一言、「にいさ」とひらがなで書かれていた。

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おばあちゃんのスタンスは、私も学ぶべきところがあると思う。
わざわざ情報を追っているわけでも、積極的に仕入れているわけでもない。会話やテレビから自然と入ってきた情報を、そんなものもあるのかくらいにとどめている。

現代の、溢れんばかりの情報量と台風のように一瞬で去る流行に一つずつ反応していたら、それだけで人生が終わってしまいそうだ。おばあちゃん流対処法で対応したら、特に感情が揺さぶられることもなく穏やかに過ごせそうだ。
何もかもどうせすぐ変化する。では私たちもその前提で受け流してみてもいいのではないだろうか。