人生が変わるきっかけとはどんな時だろうか。大金を得た瞬間だろうか、それとも大病や大怪我をした時だろうか。そんな何か大きな出来事が、人生を変えるきっかけとなるのだろうか。

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高校生までの私は、少なくとも人生というのはそういうきっかけで変わると思っていた。シンデレラのような魔法みたいな素敵なことがきっかけで、人生が変わる。勿論、逆もしかりだけれど、とりあえず自分の想像を超えた何かが起こって人生が変わると思っていた。
けれど、そんなおとぎ話のような事は現実では起こるはずがない。よって私の人生は世間一般的なレールに敷かれた道を歩むんだろうと、半ば諦め当然の如く思っていた。大学へ行き卒業すれば、働いてやがて結婚し、子供を産んで老後を迎えると思っていた。
何かしたい事があるわけじゃないけれど、わかりきった人生はつまらないな、と多感で尖っていた年ごろの私は鬱屈した学生時代を送っていた。

そんなある日、母からある人に会ってほしいとお茶をセッティングされた。聞けば初対面にもかかわらず2人きりで会ってほしいと言う。
訳が分からないまま約束の日を迎え、カフェに着けば既にその人が居て、冷たいピーチティーを飲んでいた。
彼女は身体障害者と言われる人だった。背丈は私の半分くらい。手足も短くて右腕と左腕の長さも違った。恐る恐る席につけば、器用にコップを持って私に「ピーチティ飲んだことある?」と自己紹介もせずたどたどしい口調で話しかけてきた。
私が「無いです」と答えると、「無いの?飲んでごらん」と勧めてきて、断り切れない私はチロッとそのストローから飲んだ。その時の冷たさや桃の爽やかさを、何故か今も鮮明に覚えている。

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彼女の名前は理恵さんと言う。画家で作家で役者で……芸術家だった。
当時私も部活動で劇をしていた為、母は自分が理解しきれない私を理恵さんなら理解してやれるんじゃないかと考えたらしい。
そんな目論見の中、出会った理恵さんは私が考えている事や想いを聞いて、「分かる~。理恵もそう思う~」と言ってケタケタ小さな体を揺らして笑った。長さの違う腕を叩いて笑った。

今思えば、私の考えたことに対して大人の意見を言わなかった一番最初の人が理恵さんだった。幼い私が一生懸命考えた事でも、大人にしてみれば子供の甘い考え。進路にしても何にしても私の意見はまず否定された。
同世代の友達の慰めに似た同意とも違って、理恵さんは私の考えを分かってくれた。それは彼女自身が自分の思った通りに生きていたから出来た事だ。
私は考えはするけれど、その考え通りに生きるのを諦めていた。だけど、実際そう生きている人を目の前にして私の概念が少しだけ、ほんの少しだけ角度を変えた。私もそう生きられるかもしれない、と。

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当時は全く分かってなかったが、今振り返ればあのカフェでの会話が私の人生の変わるきっかけだった。
大きな出来事ではない、ただ人と出会いお茶をしただけ。たったそれだけ。それから私たちは年に数回顔を合わせ、理恵さんの個展などが開かれればお手伝いにも行く仲になった。

お茶をするのは今でも続いている。現在、理恵さんは体の変化の為、ほぼ失明してしまった。人よりも早く老いる体でもやっぱり彼女は表現者で、ウクレレを弾いたり粘土で作品を作っている。そして、多くの人を勇気づけようとYouTubeを始め、私はその副音声に抜擢された。
高校生の私よ、こんな未来があの時、想像できたかい。

理恵さんが、レールに乗るしか出来ないと思っていた私の手を笑ってひいてくれた事に、当時は気づけなかった。だけど、今はあの時がどんな魔法より凄い奇跡だったと分かる。
人との出会いが人生を変える。私も誰かの手を笑ってひけるような人でありたい。自分の事ばかりで精一杯だった私が、そんな風に思える人間になったきっかけは、理恵さんだ。
彼女の事を思うと、私はいつもあのピーチティの爽やかな香りと冷たさと感謝の念が湧いてくる。今度改めてお礼をしに行こう。
……この話をしたら理恵さんはなんて言うかな。
きっと手を叩いて笑って喜んでくれるんだろうな。